「xxxxxすべき」という表現はとても強い印象を与えるので、自分に極めて近い事柄や関係性でない限り易々と使わないようにしている。すべての人間は皮膚と言うインターフェイスを通じて外と中が隔てられていて、皮膚の内側に存在する各個人は、それぞれが全く別の景色を見ているし、全く別のことを考えている。もちろん、育った背景や住んでいる環境も大きく異なるし、それ故に保持する情報も大きく違うのだ。ユクスキュル風に言うと、それぞれ全く固有の環世界が存在することになるわけなので、そんな異なる環世界を生きる他者に「xxxxすべき」などと言うのは筋違いも甚だしい気がしてしまう。もちろん、自分たちの振る舞いや在り方に関して「べき」論を論じるのは良いことと思うが、それ以外は人様の「べき」より自分の「べき」を探した方が身のためだし、日々をご機嫌に気持ち良く過ごせると思う。