株仲間

2000年から2004年に大学時代を過ごした時、通常のキャンパスライフに加えて株や株式投資を通じて母校はもちろん全国の変わった学生や社会人たちと繋がり、ネットワークができたことは今思うととてつもなく大きな財産だったように思う。
あまりにも投資の才能に溢れ過ぎていて自分に投資家としての道を断たせてくれる後輩がいたり、明らかにひとりでやってるのに投資クラブを名乗る意味不明な人がいたり、投資とは名ばかりでデザインフリークな集団がいたり、今振り返っても訳わからない人たちがそこかしこにいて毎日とんでもなく楽しかった記憶しかない。自分に起業を決意させてくれたのも、その時会いに行った起業家たちだったように思う。

さらに嬉しいのは、みんながそれぞれ目を疑うばかりの活躍しているのは勿論として、それでもみんなとっても謙虚で仲間を大切にする空気を纏い続けていることなあると思う。その空気感がとても貴重で、心地良い。
もちろん、あの当時高校生とか大学生で株式投資をやっていただけあって、自分含めてそれなりのいかがわしさはあるのだけれど、そのいかがわしさと誠実さ謙虚さがバランスしているような互いに葛藤しているような、そんな感じを受ける。
やはり綺麗事だけではダメでいかがわしいことでも興味の赴くままに突っ込んだ方がきっと良いし、それでもそのいかがわしさから学び尽くす姿勢さえあればきっと大丈夫で幸せであり続けられるのだと思う。今日は良い夜だったので自戒の念を込めて。

SOW EXPERIENCEとギフティ

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既報の通り、SOW EXPERIENCEはギフティの100%子会社となり、今後はそれぞれの会社が独立しつつもグループ一体として活動していくことにしました。背景や狙いはプレスリリースのコメントにも書いた下記の通りです。
ギフティ経営陣との長きに渡る安定した関係性が、今回の話を確実なものにしてくれたことは紛れもない事実ですが、とはいえやはり、贈り物やプレゼント(と言う名のコミュニケーション)をより豊かで楽しく便利なものにしたいという思いの強さが、紆余曲折を乗り越えさせてくれました。
近い将来このチャレンジが、「個」が大事にされているが故に希薄になりがちな人と人とのインタラクションを、より活発で楽しく豊かなものにしていく、その際の名脇役となれることを願いつつ善処していこうと思います。
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EXPERIENCE GIFTからNEW GIFT EXPERIENCEへ
イギリスで目にしたEXPERIENCE GIFT、つまり体験を贈ることができるギフトを社会に定着させるべく、ソウ・エクスペリエンスは2005年から活動を始めました。おかげさまで体験ギフトは年間15-20万セットが贈り・贈られる定番のギフトカテゴリーとなりつつありますが、ここに来て本質的に我々が提供すべくは人と人との豊かなインタラクション、それをアシストするNEW GIFT EXPERIENCEなのだと思うに至りました。今後、ギフティと一体となり活動していけることは、このビジョンを体現する上で考え得る限りベストの環境だと捉えています。より豊かでより楽しい、そんなギフトやコミュニケーション、そして企業グループを目指していきたいと思っているので、引き続き応援いただけますと幸いです。
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プレスリリース:
ギフティとソウ・エクスペリエンス、両社の強みを掛け合せ ギフト市場に新たな価値を創出 「ギフト」によるインタラクションを促し贈り物をより豊かに

伴走

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最近、生活の中で伴走という言葉をよく使う。
自分が伴走する立場のこともあるし、伴走をお願いすることもあって、例えば前者は子供の中長期プロジェクトの伴走や、社内で奮闘するメンバーの伴走役とか。後者は専門領域でプロの指導を継続的にお願いする場面など。
その時により立場は異なるけれど、伴走という言葉に妙な心地良さを感じるのは僕だけではないはず。きっとそれは、この言葉の内包する、
1.単発ではない継続的な関係性
2.至近距離であーだこーだ言い(言われ)過ぎず適度な距離感が保たれていること
あたりが理由だと思うけれど、2番をさらに紐解くと、
・結局は個人としての意見や意思、実行が大事であること
・とはいえ個人個人と言い過ぎて他者との交わりが薄れるのは寂しいこと
という側面があって、そこら辺が自分の価値観とフィットするのだと思う。
欲を言えば伴走を「する側」と「される側」は常に程よくミックスし、その上で走ったり歩みを続けることが大事だと思うので、そんな感じで引き続きやっていきたい。
写真はつい先日、浜で伴走でなくガチ飛して転んだ僕。結構良いジャンプだっただけに最後が惜しい

意見と人格の分離

ふと思ったことをtweetしようとしたら、整理してるうちに長くなってしまったのでここに投下。師走ですが、何か参考になれば嬉しいです。
「意見と人格の分離」
家庭でも仕事でも、人格と意見はできる限り切り離す傾向で物事を捉え考えていく方が、結果的にスムーズであったり楽に生きられることが多いように思う。
文字で書くと当たり前のように見えるのだけれど、これができていないが故に無用なトラブルやギスギスを量産しているケースは少なくない気がするので、少し書いてみる。

意見って何よ?人格って何よ?各種の意見の総体が人格なのだから意見も人格も似たようなものなの、つまり「意見が違うやつは人格否定に値する」という”意見”も一応、筋は通っていると思う。
でも長年連れ添った仲良しの夫婦にも、支持政党の違いや借家か持ち家かに関する意見の相違は程度の差こそあれあるわけで、やっぱり意見=人格とするのは無理があるような気がする。

最近よく聞くようになった「心理的安全性」という言葉も、根っこの部分ではこの”意見と人格の分離”と強い関連性があるような気がしていて、どんな奇抜な意見や上司・年配者と異なる意見で対立が生まれても、自分の人格そのものを否定されることはないという安心感。多分それが心理的安全性ということなのではなかろうか。

そして大事なポイントは、この「意見と人格の分離」は、主に2つの方法で個人的にも組織的にも鍛錬できる点だと思う。その2つとは心がけと決め事だ。

心がけというのは文字通り心がけで、異なる意見を目の前にしても、まずは相手の意見を自分なりに咀嚼できるよう努めること。(もちろん親子でも。)その際、もし最初に「あなたの意見にちょっと違和感があるのだけれど、いくつか質問してもいい?」みたいに問いかければ、結果的に意見の否定になったとしても、相手は自分の意見が十分理解されている、または理解しようと努力されたことは把握しているので、そこまで険悪な雰囲気に陥ることはないと思う。
その上で、そんなやり取りを暫く続けていれば、やがて双方が納得できる落とし所が見つかるケースは少なくない。

そして決め事というのは、落とし所が見つからなかった際はどう決めるのか、の合意を作っておくということだ。
それが会社組織であれば役職や担当ということになるのだろう。議論は尽くした、でも決定的な解や落とし所は見つからない。では、より俯瞰できる責任を取る立場の人や、もしくは若くとも一番思考量と行動量が多そうな担当者の判断に任せよう、みたいな流れになるのだと思う。
家庭の場合だとどう分担を決めるのが良いのか、今ここでうまく明文化できないけれど、でも似たような考え方が適用できるのではなかろうか。

ちなみにこれは、あくまでも鍛錬なのでスイッチのオンオフみたいに「昨日できなかったことが、今日できた」みたいな類の話ではない。徐々にできるようになってきた(かも?)という濃淡マター。
でも、少なくとも会社とかだと、特に組織を管掌する立場の人が日頃からここで書いたようなことを提案したり実践していれば、そして実践できていないケースを目の当たりにした際に適切に処理(優しくたしなめるなど)していけば、意外と早く「意見と人格の分離」が当たり前の文化は醸成できるのではないかと思う。

自殺者増のニュースを受けて

自殺者が増えているというニュースが頭から離れない。色んな要素が複雑に絡み合い、取り残された、もうダメだと思い詰める人が増えているのだろう。
よく言われることだが、当事者の家族や親族友人はニュースで報道されている数の数倍いるわけだし、更にその10倍くらいの未遂や近しい状況の人がいるに違いない。

僕は一度だけ、あの時ひと声かけておけば良かったと後悔してもしきれない過去があるので、せめてもの懺悔と供養の気持ちを込めて、少しでも気になる人やケアしてあげた方が良さそうな人が頭に思い浮かぶのであれば、一言でも構わないから連絡してあげることを周囲の人にはオススメしたい。

「うーす、元気?特に用はないけど、ふと思い浮かんだので連絡してみた」

だけでも良いと思う。なんなら↑のコピペでもいい。人は用のない連絡を案内有り難がってくれるものだし、喜んでくれるものだ。
喜んでもらえるとこちらも嬉しくなり、良いことできたなと自分を褒めてやりたくなる。そんな他者への働きかけの応酬が、今とても必要とされているように感じる。

昔、自由大学で未来の仕事をテーマに講義を担当していた時に自死遺族のケアをテーマに活動されている方がいて、自分の辛い過去をエネルギーに変えている姿に感銘を受けたけれど、何となく今は4月とは別の形の緊急事態な気がしたので思わず投稿。ちなみに僕は時間の融通がきく人種なので、なんかちょっと励まして欲しいなという人はいつでも連絡歓迎します。