eギフト

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宣伝です。少し前になるのですが、ソウ・エクスペリエンスからeギフトをリリースしました。離れた相手に贈り物を届けたい、けれど住所が分からないし尋ねるのも野暮だ、という時にLINEやメールで送れるタイプのギフトです。今のところ商品ラインナップは2つ。1つは従来から体験ギフトの中では比較的廉価で人気の「カフェチケット」。全国の大都市中心に、個性あふれる色んなカフェでランチやお茶などを楽しめます。もうひとつはeギフト専用商品として2週間ほど前にリリースした「おうち菜園の贈り物」。ハーブやトマト、シイタケやアスパラなど色んな野菜からお選びいただけます。もちろん最近はgifteeやLINEギフトはもちろん、スターバックスのアプリなどeギフトも選択肢がだいぶ増えてきましたが、ソウ・エクスペリエンスのeギフトも独自の色があって面白いと思うので、何かの機会に使ってみていただけると嬉しいです。

迷いの質

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やるかどうか迷っている人をよく見かけるのですが、それはきっと良質な迷いではないので、やると覚悟を決めた上でどう実現するかで迷った方が圧倒的に良いと思ってます。やると決めれば説得力が生まれるので協力も得やすいし、動いてみてダメならやめればいい。良いこと尽くしな気がします。
これはある種の思考の癖なので、同じ人は同じパターンで思考とか判断しがち。とすると↑のあまり質の良くない迷いを続けていると、やると決めた上で手足脳動かしながら迷ってる人たちとは経験値に圧倒的な差がついてしまうのが実情だと思います。経験は面白い話として語られ(ここ大事)、それによって貼られた「楽しい人」レッテルが更なる機会を呼び、、、となるのではないかな、と。
不思議なのは、子供たちを見ていると「やるかどうか迷う」ということはほぼなくて、全てその瞬間で判断、むしろ判断の前に行動があるようにする見える。それは概ねどの子供についても言えるのに、発育や教育のどこかの過程でその瞬発力が損なわれたり迷うことを優先する癖が身についてしまうのですよね。そこに抗いたいし、戦いたい。
ピカソの「子どものように絵を描けるようになるまでに一生かかった」という言葉は万人に通ずるのですね、きっと。
写真は常に迷いなど一切なく、今朝も6am頃、起きて5秒後にテオ・ヤンセンのミニチュアを作り始めた長男。リスペクト!

「この人がいれば逗子は大丈夫」な話。<身体メンテナンス 編>

前回の投稿が比較的好評だったので、ふと思い立って第二弾。しかも今回は逗子の隣町だし、別に友人でもない。ただ一度患者として行った鍼灸院の話。
先日、鍼灸の施術を受けに行ったのだが、そこでのドイツ人鍼灸師の振る舞いがとても印象に残った。初めての受診だったからか、最初は10分くらい日本茶を飲みながらお話。どんな生活をしているか、どんな仕事をしてるか、家族はどんな構成で、みんなどんな状態か。皆にそうしているのかどうかは分からないし、多分に僕が勝手にペラペラ喋ったからという可能性もあるのだが、とにかくまず施術などする前に色々話をしたことがとても印象的だった。そして、あぁこの人は僕のことを、たとえ最低限だとしても理解しようとしているのだなと感じた。
鍼灸も丁寧にやってもらって最終的に2.5hくらいを過ごしたのだが、最後の20-30分も、お話。アフリカの女性が重い荷物を頭だけで支えてる写真を見せてきて、それをもとにまたお話。
その日は、まぁ何となく少し楽になったかなというくらいの感想を抱いて帰路についたのだけれど、存分に色々話したので翌日と翌々日くらいは、ことあるごとに会話の一部が脳内に蘇り、自分の姿勢や行動に関して、なるほどこうすればいいのかなというアイデアが色々湧いてきた。そして長年痛みがあった首も今のところ以前よりも良い状態を維持できている。
仕事でも勉強でもスポーツでも、やらされるよりも自分の意志で前のめりに取り組むことができるに越したことはない。家族に背中を押されて受け身でやってきた僕に、ちょっとした会話と施術で多くの気づき・発見をもたらしてくれた彼は、なかなかの達人に違いない。
そんな彼はつい最近テレビに取り上げられたようで、お客さんが増えてちょっと大変だと言うようなことを話してた。嬉しそうというよりは、少し迷惑そうだった笑 僕がこんな投稿をすると、それを見て行ってみようかなという人が増えるかもしれないし、それは構わないのだが、その際ぜひこの投稿のことは内密にしていただきたい。次回行った際、余計なこと書きおってと叱られてしまいそうな気がするのだ。

「この人がいれば逗子は大丈夫」な話。<自然界代表 編>

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歩いたり自転車に乗っていたりすると「第三子おめでとう」と声をかけられる。
昨日朝の話だが、なんて良い街なんだ、それにしても情報が早いぞなんて思いながら海沿いの喫茶店に入り仕事前に少し本を読んでいると、突如緊急地震速報が鳴り響いた。しかも大地震と書かれている。

それを見て「これはまずい」と思ったのだろう。少し離れた席で打ち合わせをしていた友人、どちらかというと「人間界」より「自然界」代表の人間というタイプなのだが、咄嗟に海際のテラス席に出て柵の上に立ち、着ていたTシャツを脱いで振り回しながら海に向かって大声で叫び始めた。
僕は室内にいたので何と叫んでいたのかは聞こえなかったが、SUPやカヌーなど海上で遊んでいて緊急地震速報を聞いてないであろう人たちに、危ないから浜へ戻れ、逃げろと伝えていたのだと思う。
言葉で書くと当たり前の行動のように思えるかもしれないが、その素早さと声のデカさに度肝を抜かれた。
けれど、その素晴らしき異常行動のおかげで数百メートル先の人々にも声が届き、海上の人々は順次浜へと戻って行った。

ちなみにこの自然界代表の友人は昔は南国の島で真珠の養殖などをしていた不思議な経歴を持つのだが、今は海のアフタースクールを運営していて大人気だ。もちろん僕の子供たちも通わせてもらっている。
添付の写真はもう3年くらい前、そのアフタースクール中に長男が初めて波に乗った時のものだ。もうこの写真、何度見返したか分からないが、いつ見ても胸がいっぱいになる。そしてすぐ後ろにいるのが、この友人だ。
先日とある雑誌で「私たち人間に感情状態があり、それを気持ちとして経験している」という面白い表現を見つけたが、まさに彼は僕らに様々な豊かな感情をもたらしてくれる。そして、同じような思いを抱く人が、多分百人単位で逗子の街にはいるのだと思う。

結局、昨日は地震も津波もやってこず、緊急地震速報の誤作動だけが報道され忘れ去られていった。そしてあぁまたBAD NEWSかという余韻だけが残った。
でもむしろ何も起きなかったのはGOOD NEWSだし、その中にこんな勇者がいたことは更なるGOOD NEWSだよねということを記録しておきたく、ふとこうして書いてみた。

7/22 土台としての贈与

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先人は当時にとっての将来である現在を思い事を為しただろうし、今を生きる我々はその恩恵に預かっている。そして我々は将来や(政治でも法律でもビジネスでも)ある種の受益者に思いを馳せ、あれこれ考え行動を起こしている。もっと卑近な例でも、家を買うのは自分というよりも家族のためかもしれないし、スーパーでお刺身を買うのはおばあちゃんの喜ぶ顔が見たいからかもしれない。

ギフトというとついつい誕生日の贈り物とか母の日父の日に意識が偏りがちだけど、ギフトをより広義に「他者に思いを馳せること」と捉えると、歴史や世界の見方が少し変わるのではという気がする。むしろ我々を取り巻く市場経済システムは鏡餅にちょこんと乗っかるミカンのようなもので、その土台は餅である贈与がしっかり支えている。そんなイメージこそが本質なのではなかろうか。

よく、経済的にはギフト市場は十数兆円の莫大な規模で、、、という話を聞くのだが、この文脈で捉えるとむしろもっと遥かに大きいし、それを数値で測定しようとすること自体が間違いの始まりなのではないかとすら思えてくる。

ー誰かに思いを馳せること
ー誰かの思いを馳せ行動すること
ー誰かに思いを馳せ行動し、結果的にギフトを贈ること

どの段階をギフトと定義するかに正解はないけれど、僕はできる限り広義に捉えられる一番上や二番目が気に入っている。それは一個人としてもだし、ギフト会社の代表としても、最近目に余る嫉妬や模倣、詐称などの行為がはびこる環境の中で抜きん出た存在になるために欠かせない思想だと思う。戦術や戦略は真似できても、思想だけは決して真似されない。やるぞー!

というポエムを書くために、電車を降りてチャリで帰宅してバイクに乗り換え、葉山の長者ヶ崎までやってきました。これから家族と合流して蕎麦を食べてきます。