きっかけを巡る2つの誤解。

社内のちょっとした議論からどうも考え込んでしまい、他にやりたいことがあるのに脳内で妨害されているので書き出すことで一度脳の外に押し出すことにする。 テーマは「きっかけを巡る2つの誤解」について。

1つは「きっかけがなかなかない」というもの。 僕の認識では、きっかけは「過少なのではなく過多」で、それ故に見過ごされがち。 高校1年生だった僕はマクドナルドのアルバイトに面白さを見出せず2週間ただただフィレオフィッシュを揚げ続けるだけで辞めてしまったけど、同じものを見たレイ・クロックはマクドナルドの洗練されたシステムに感動し創業者兄弟から事業を強奪、やがて今のような世界的チェーンを作り上げた。(詳しくは映画『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』をぜひ) 子どもから発せられるありとあらゆる類の質問や彼らの行動はきっかけの宝庫だし、巷に溢れるありとあらゆる類の情報はその全てがきっかけの塊。そこに無限のきっかけが転がっているのに、見て見ぬ振りをしている、またはそのどれかに大きく切り込み時間やお金を割かないのは他ならぬ私たち自身。

もう1つは「きっかけとはビビッとくる衝撃的な何か」というもの。 僕の認識では、きっかけとは何か一つのホームラン的な出来事ではなく、複数の些細なことを自分の感覚で繋ぎ合わせて(キュレーションという言葉もピッタリかも)生まれるストーリー仕立てのもの。 この物語は自分の自分による自分のためのものなので、多少の誇張や強引さが含まれていても自分にとって心地良くて腑に落ちれば全然ok。 僕はよく起業の経緯としてマトリックスという映画のことや『バカの壁』という養老孟司さんの著書のこと、そして大学生の頃に出会ったカートやキャニオニングの話をすることがあるのだけれど(色んなパターンがあるのでこの話を持ち出さないことも多いけど)、個別の出来事は全く関連性はないし、それぞれが自分に与えた衝撃度合いも一様ではなく重いものも軽いものもある。 移民・難民問題に興味を抱いた理由やアフリカ、そして最近ではバスケットにハマっている理由も、全て複数の要素を紡ぎ合わせて自分の中で意味性を見出している。

====

ここに書いた「きっかけをめぐる2つの大きな誤解」が払拭されると、つまり頭でなく身体で理解できるといよいよきっかけが面白いほど向こうからやってくる、いわゆる引き寄せ力が増すのではなかろうか。 この投稿が他ならぬ誰かのきっかけになればとても嬉しい。

ちなみにSOW EXPERIENCEは他でもないこの「きっかけ領域」にチャレンジする会社です。 巷に溢れるが故に見過ごされがちなきっかけをうまく切り取ることで商品・サービス化し、人々にきっかけが訪れるサポートをすることがSOW EXPERIENCEのミッション。 なぜなら全ての人が何かに興味関心を抱いて生きている「興味関心主義」が僕らの目指す世界観、僕たちなりの世界平和の定義で、何かに興味を抱くにはその引き出しとなる多くの体験、それらを通じた経験の蓄積が不可欠だと考えているからです。

「きっかけを与えたい」と言う人は多いけれど、きっかけは最終的には極めて個人的かつ内面的なものなので、それを外部からの働きかけで生み出すのはとても難しい。 でも、それを認識した上でどうすればきっかけは生まれるのか、そんな風にきっかけについてしっかり考察した上で、これからも事業を拡大させていこうと思います🕶