急停車中の車内にて。

乗っていた横須賀線の、恐らく1つ前を走る電車に駅で人が飛び込み、1時間ほど遅延した。 いつも感じるのだが、電車への飛び込み自殺がこれほどまでに日常化していることは異常だし、これは極めて社会的な行動であるなと思う。 今日は自分の乗る電車の近くで事故があっただけに、社会を構成する自分に対しても「お前らのせいだ」と突きつけられているような気がして、しばし沈んでいた。

自殺の歴史は人間の歴史、、、なのかどうか知らないが、死ぬなら一人で死ねばいい。 でもあえてそうしないのは、何かもっと複雑な要因、その要因が個人的なものではなく社会的なものだからだと考えるのが妥当だろう。

自殺の原因は昔も今も健康問題が1位を占めているが(参考:http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/whitepaper/w-2013/html/gaiyou/feature03.html)、飛び込み自殺をする人は健康問題よりも、他者や社会との関係性における問題、つまり経済や生活、職場や学校での悩みに起因するものが多いのだろうか。

飛び込み自殺は偶発的事故ではないのでハインリッヒの法則がそのまま通じるわけではないが、「1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在する」かもしれないと考えると、これをホームドアの設置だけで解決できる問題と捉えて良いのかどうか、分からなくなる。

「体験しよう!」と言っても体験する人が増えないから体験ギフトを作っているのと同じように、飛び込み自殺だって「やめよう」と言って減るようなものではないから、きっともっと根本的な社会の治療が必要に違いない。

できれば希望を感じて生きていけるように。 それが無理でも絶望をせず生きていけるように。

そこに向けて少しでも貢献できるのであれば僕は希望を感じ続けることができるだろうし、それが叶わないのであれば僕自身も絶望を感じてしまかもしれない。