人類の知性への入り口としての中学受験

受験勉強をする上では自ずと、通常小学校で習うべき範囲外の大量の漢字やら熟語やらをインストールしなくてはならない。単なるインプットに続くインプットは地獄なので、ある種の達成感と、それらを駆使すると実現できることを提示してあげたいなと思い一緒に本を読んでいる。君はもう、こんな本が読めるようになっているのだよと。面白くて読みやすそうな範囲こそこちらで指定するが、それぞれが同じ本を好きな時間に読んで、暇を見つけて語り合ったり子供の質問に答えたりするだけで、こちらにも多くの発見がある。

中学受験と聞くとある種のアレルギー反応を示す人が多くいることも把握しているつもりだが、僕はこのシステムを結構前向きに捉えている。これは人類が蓄積してきた圧倒的な知の蓄積へのリスペクトであり、少し早めのインストールなのだ。もちろん無理にインストールせずとも生きていけるが、一旦インストールしてしまえば日々の出来事、ニュースや事件、自然現象、ありとあらゆる物事の解像度が上がり、それを踏まえた自分なりの思考が可能になる。ある種の翼が生えるのだ。

小学生の時にさせてあげたい多くの体験(時間)を犠牲にしなくてはならないというのも、一部は事実だと思うが多くは工夫で何とかできるような気もする。今はオンラインの塾だってあるわけで、10分前までスキー、今は授業ということだって可能なわけだ。(先週我が家はそうだった)小学生のオンライン授業など形になるかと思うかもしれないが、十二分に成立する。小学校のオンライン化は難しいだろうが、塾はやっぱりあくまでも塾なのだ。 そして知識の詰め込みだと創造性が失われるという懸念もたまに聞くが、少なくとも僕は30年前の受験勉強を通じて創造性が失われたとは1ミリも思っていない。むしろやはり、今の自分の思考力やその元となる見識の基礎が作られたのではないかとも思う。

何でこんなことを書いているのか自分でもよく分からないし、今日が2月1日ということもあるのかもしれない。都内でも多くの受験生を目にした。中学受験にまつわる色んなことで葛藤や迷いの渦中にいる人がたくさんいる気がしていて、そこに一つの考え方を提示したいというのもあるかもしれない。人生の多くの事柄には正解がないので、迷うくらいなら一旦割り切って決めた上で、その覚悟の上に努力を重ねる方が良い結果がもたらされるケースは多いように思う。 何か少しでも参考になれば幸いです。受験生、明日もがんばれ!!!!