「図々しい」という言葉の存在が図々しい

「図々しい」という言葉を辞書から消し去った方が日本人にとってプラスな気がするのだが、勿論そんなことは一筋縄ではいかないので思考過程だけでも記しておこうと思う。

多分「図々しい」という言葉は脳内では「迷惑」とセットで捉えられていて、他者の迷惑にならぬよう図々しいお願いや提案は控えよう、、、という無意識の圧力が常に働いているように思う。幸か不幸か「図々しい」という概念を持ち合わせている我々日本人は。

でも、ある程度図々しくて良いと思うのだ。今みたいに待機児童やコロナ自宅待機や介護や貧困そしてセクシュアル・マイノリティなど課題山積で対策が追いついていない世の中で、控えめに奥ゆかしく生活していると全部を自分で背負うことになる。 その辛さや大変さが100%本人の責任ということはまずあり得なくて、そこには辛く大変になってしまう社会的必然性が必ずあるのだと思う。 そんな考えのもと、僕はSOW EXPERIENCEでもずっと社員のワガママをできる限り受け入れる形で子連れ出勤や在宅や時短を早い段階から受け入れてきた。社員のワガママは社会の要請。カッコつけとかでなく本当に。なぜなら自分自身が長男が産まれて直後に預け先がなく「詰んだ」状況になりそうなこともあったけど、自分で会社やってるんだから子供連れて行っちゃえ、ということができて助かったし、同僚の皆も受け入れてくれて更に救われたりしたから。 ちなみに図々しさは困難な状況だけでなく、今日の昼の予定が空いたから誰か空いてないかな、忙しいかもしれないけど連絡してみよう!こんな時に行使するのも有用だし、どこかで誰かがあなたの誘いを待ってる可能性もゼロではないと思う。

昨日一緒にランチをした社員は海外生活が長く、どちらかというとOSは英語の若者だけれど、彼に聞いてみたら日本語の「図々しい」に該当する英単語は思い当たらないようだった。そしてそれは幸せなことなのかもしれない。 日本人は親から「人様に迷惑かけないようにしなさい」と言われて育つけれど、インド人(?)は「あなたは人に迷惑をかけて生きてきたのだから、その分他者をサポートして生きていきなさい」と言われて育つ、、みたいな話を聞いたことがあるが、この文脈に沿ってインド版を言い換えると「これまであなたは散々図々しさを行使してきたのだから、今後は他者の図々しさを受け入れなさい」ということにもなるのだろうか。 長くなってしまったのでこれくらいにするが、気楽にやってくためには多少の図々しさは鍛えておいた方が良いのでは?という提案でした。