最近、生活の中で伴走という言葉をよく使う。 自分が伴走する立場のこともあるし、伴走をお願いすることもあって、例えば前者は子供の中長期プロジェクトの伴走や、社内で奮闘するメンバーの伴走役とか。後者は専門領域でプロの指導を継続的にお願いする場面など。 その時により立場は異なるけれど、伴走という言葉に妙な心地良さを感じるのは僕だけではないはず。きっとそれは、この言葉の内包する、 1.単発ではない継続的な関係性 2.至近距離であーだこーだ言い(言われ)過ぎず適度な距離感が保たれていること あたりが理由だと思うけれど、2番をさらに紐解くと、 ・結局は個人としての意見や意思、実行が大事であること ・とはいえ個人個人と言い過ぎて他者との交わりが薄れるのは寂しいこと という側面があって、そこら辺が自分の価値観とフィットするのだと思う。 欲を言えば伴走を「する側」と「される側」は常に程よくミックスし、その上で走ったり歩みを続けることが大事だと思うので、そんな感じで引き続きやっていきたい。 写真はつい先日、浜で伴走でなくガチ飛して転んだ僕。結構良いジャンプだっただけに最後が惜しい