楽観的、手柄問題

R25は俺が作った」「伊勢丹新宿本館は俺が手がけた」という話を幾人から聞いたことがある、というたまに耳にする話があります。通常これは手柄を自分のものにしたがる年輩者を揶揄する話として語られることが多いのですが、僕はこれはとても良い話ではないかと思うのです。 だって、どこからどこまでが当人の手柄であるかは一旦置いといて、まずは自慢したくなるような目覚しい成果(を出したプロジェクト)に何かしらの形で携われたことは光栄でラッキーなことですし、しかも「俺が作った・手がけた」と言うくらいなので、少なからず当事者意識を抱いて時間的にも精神的にもコミットしたのでしょう。大成功したプロジェクトがある、それに携わった皆が「自分の努力が実ってうまくいった」と思っている。これぞ最高のストーリーではないかと思うのですが、どうでしょうか。合計100の手柄を関係者で割り振ると考えるよりも、100の手柄を人数分与えちゃえ!という考え方でしょうか。 こんなことを書いたのは、今朝、世間的には小さいけれど僕らとしてはそれなりに大きい一つの山が動いて、この山を動かせた経緯を思い返すと色んな人の長年の小さな助力が実ったが故の成果だと思ったからです。さぁ、次もまた新たな手柄を取りにいくぞぉ〜