お金を配れば子どもが増える?

仕事と私用を兼ねて大阪・奈良に来ており、合間を縫って書き物をしています。まだどうなるか、どうできるか分かりませんが、子育てや子どもとの関係性に関する自分なりの考えをまとめたもの。下記は、ここまで書いた中から一段落を抜き出したものです。何だか最近の少子化対策に関する報道を見ていると物凄く違和感があるのですが、短い言葉で表現するとどうしても批判ぽくなってしまうので、その理由を書いてみたものです。そして、このあたりの考えを踏まえて文書をまとめ、価値ものに仕立ててお披露目できるようがんばります

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お金を配れば子どもが増える? 今、報道などを見る限り、子育て支援と称してお金を広く配る事業が加速されようとしています。ですがお金を配れば子どもが増えるという論理は、象が空を飛ぶくらい突飛な発想である可能性はないのでしょうか。もちろん経済的な問題が子どもを持ちづらい、増やしづらい要因である蓋然性は高そうですが、お金をかようと思えばいくらでもかけられるのが子育てである一方で、別に課金すればokなほど単純なゲームではありません。お金は一要素に過ぎない。けれど子育ての経済的な側面だけに圧倒的に焦点が当てられ、その構造そのものが子育ては課金ゲームであるという国からの宣言となり、さらに支給された資金の一部が実際に課金ゲームに費やされてゲーム性を加熱させる。そういうプロセスを推し進める可能性はないのでしょうか。お金を配るのと、必要なコストを補助・無償化することは意味合いが異なります。両者の比較は徹底的になされているのでしょうか。ちなみに私の住む地域では依然として給食費が毎月銀行口座から引き落とされています。少子化が大問題だと騒がれている割には、義務教育の中のランチはしっかり課金される。そこに少なからぬ違和感を覚えます。 少子化は確かに国を揺るがす大きな問題ですが、これは問題である以前に、まずは結果であると捉えた方が正確です。この数十年間の日本という国の在り方の結果。ではその結果をもたらした問題は何だったかというと、お茶を濁すような言い方になってしまいますが多岐にわたります。もちろん日本の優れた行政機構の中では、その「多岐」の内訳の調査や対策案も検討されているのでしょうが、報道を見る限り、どうも経済的な問題という形で無理やり固定化・特定化しようとしているような印象を受けてしまいます。そして結果的には傷口を広げてしまうことになるまいかと心配しています。(子育て関連の諸施策で出てくる所得制限という例外規定も、どうも理解に苦しむところがあります。ここでもやはり経済的な問題に意識が集中し過ぎ、子どもが増えている、増やすことに貢献しているという事実を後回しにし過ぎている印象を拭えません。) 今はむしろ、どちらかというとお茶でも飲みながら少し力を抜いて、一旦ゼロベースで考え直した方が良いのではないでしょうか。一体何が問題なのか?と。