10/19 曇り時々「夢を持とう」への違和感の僕なりの解釈

今日は朝、慶應ビジネススクールの方々が来訪。マーケティングについて調査中とのことで、色々ディスカッション。4人のうち1人は後輩で驚きでした。 昼以降はデスクワーク。これから知人にちょろっとIIDを案内して、その後自由大学の講義です。今日は東京仕事百貨の中村健太さんをゲストにお呼びする予定です。

昨日兄と兄の親友と共に実家近くで食事しながら話をして、「夢」というよく議論されたり見かける言葉について帰りの自転車で考えてたことをちょろっと書いてみます。

「夢を持とう」という言葉に僕は学生の頃から違和感があって、それは何故かなーとずっと思っていたのですが、昨日思ったのは僕にとって夢とは決して30年後とか10年以内に、とか遠いものでなく、明日にでも始められるものなのかもしれません。 そのギャップ、つまり夢について語られる時はほぼ間違いなく、「夢ははるか遠くにあって、そこに向かって突き進んでいくもの」という暗黙の大前提があると思うのですが、いやいやそうじゃないだろと。

何かやりたいことがあるのなら、明日、いや今日始めればいい。もちろん今日いきなり理想的な形ではスタートできないと思うけれど、でも理想型に近づくべく今日できることは、必ずある。そういう無我夢中の努力をしないのならば、そもそも夢なんて語るな、そういう気持ちがどこかにあるんですね。だから「夢を持とう」という言葉に違和感があったのだと思います。

そして僕がやっている自由大学の講義も、まさにこの「今日始めよう」に対する解決策提示を目標に掲げているし、だからこそ「とにかく何か興味の対象やネタになりそうなことはないか」、そして「それを今すぐ始められる方策はないか」を常に常に受講してくださっている皆さんと一緒に、僕も知恵を絞らせてもらっているのです。

僕が日経ビジネスオンラインで書かせてもらっている連載『「未来の仕事」を考える』も同じ。

というわけで、そろそろ行ってきます。