ようこそ我が家へ

今月いっぱい、ウクライナ人の女性が家事サポートをしに一日おきくらいに家に来てくれています。家の中とか庭とか掃除してもらったり、食事つくってもらったり、子どもと一緒に買い物に行ってもらったり。友人からの紹介なのですが、年明けからドイツに留学する予定になっていて、そのためにひと稼ぎしたいということで来てもらうことになりました。

もちろん彼女は自ら希望して日本に来たわけではなく、戦争が始まってウクライナにとどまることができず、ポーランド、そしてセルビアを経て日本にやってきました。我が家としてはとても楽しいし助かるのですが、どうして彼女が異国の地で、見知らぬ家庭の家事手伝いをしなくてはならないのか。お願いしておきながら、何だか僕自身の気持ちの整理がつかないまま、日々が過ぎている印象です。

聞くところによると、女性と子どもの70%が国外退去しているようですが、20歳の彼女はもしかしたらまだ若く柔軟でマシなのかもしれません。実際に彼女はこれからボーイフレンドのいるドイツに行き、グラフィックデザインの勉強をしようとしているわけですし。もっと小さな子どもたちは、さらに各地での適応力を発揮するのでしょうか。心配なのはもう少し年配の方々で、50代とかそれ以上になって祖国を追われ、異国の地で生きていくというのは、一体どんな体験なのでしょう。それはきっと苛烈で過酷で、僕たちの想像では及ばない感情に日々揺さぶられているに違いありません。

ただ一緒に食事をして話していると、それらの事情は抜きにして楽しい時間を過ごせているように思えます。わらび餅が大好きというので鎌倉に食べに行こうと妻が誘ったらとても喜んでくれたりして、一定の仕事はお願いしつつも期間限定の留学生を受け入れるような気分で進行しています。こんな特殊な状況、もはや楽しんでもらう他ありませんし、こちらも楽しむ他ありません。

なにごともそうですが、判断に思い悩むよりも決断した上で覚悟を決めて動く方が大切ですし、起きてしまったことを憂うよりも気持ちを切り替えてうまくやり過ごせるよう動く方が得策ですよね。彼女を見ながら、これまで実体験を通じて学んできたことが改めて思い起こされるのでした。