アンバランスと善処

抽象的な書き方ですが、生活や仕事のどんな場面でもバランスの取れた状態というのは理想であるものの、99%のケースではバランスの取れた状態は達成されていません。栄養バランスから仕事と休みのバランス、人間関係のバランスやお金のバランスなど、概ねどんなことにも当てはまると思うのであえて抽象的に書いてます。 むしろ、バランスを取ろう、取り続けようという姿勢やプロセス、その時間経過そのものがむしろその人の生活そのものであったり人生を構成する要素と言っても過言ではなので、だからこそ、そのプロセスを面白おかしく楽しむことは大切なのだと思うのです。 「バランスの取れた先に楽しいことがある」というメンタリティだと一生楽しくはならない確率が高いので、基本的にはバランスが悪い前提に立つ。それを改善する姿勢やプロセスを単独で、としくは家族や友だち、同僚たちと楽しんでいく。その方が遥かに健全で、メンタリティ、気持ちの持ち方次第で今すぐ自分の状態を劇的に良くすることができると思うのです。 冷静に考えると僕自身も自分の身の回りはアンバランスなことばかりで、でもそんなものだと割り切っているから不満など一切ありません。大切なのは、バランスの悪さ(の在り処)を冷静に観察し、できる限り言語化すること。言語化というのは必ずしも伝えるということでなく、その前に自分なりの言葉で理解することです。その上で自分自身で、または仲間と相談して善処しようと試みること。小さいことで構わないので、色んな場面で発生するバランスの悪さをそんな風に改めていくと、状況は少しずつ改善していくように思います。こういうのが善処という言葉の意味するところで、僕は善処という言葉が結構好きです。仕事でもよく使います。 よく「あの人はバランスが良いね」みたいな言い方をすると思うのですが、あれはきっと「バランスを取り続けようとする姿勢が良いね」ということなのでしょうか。分かりませんが、長くなったのでこの辺で手仕舞いにします