寺子屋の絵を眺めて見えてくるもの。

ソウ・エクスペリエンスの社内向けに週一で書いてる西村通信3月19日号を少し加筆修正して転載。 ===

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これ、見たことある方も多いかと思いますが寺子屋の様子が描かれた江戸時代のイラストです。ホントにこんなだったの?と疑いの目を向けたくなる気もしますが、色々調べても似たような絵ばかり出てくるので、やっぱり実際にこんなだったのではないかと思います。 僕はこの絵がとても好きで、頬杖ついてぼけっとしてる人がいたり、墨塗りしてる人がいたり、寝てる人がいたり、仮面被ってる人がいたり、友だちの口に何かぶっ刺してる人がいたり、、、なかなか愉快この上ないですが、何よりも机が先生の方向を一様に向いているわけでなく、それぞれ気の向く方を向いて好き勝手やっているように見える点がGOODです。(これは完全に想像ですが、寺の外に出て遊んでいる子どももいるのではないでしょうか)

似たようなことを何度も繰り返し書いたり話していると思いますが、僕は「全ての人が自分の興味関心をベースに生活や人生を組み立てていくような社会」を夢見ていて、それに向けた価値観や心構えを多くの人にインストールしていきたいなと心の底から思ってます。それを実現する手段として、今こうして会社を運営しています。 そしてこの寺子屋のイラストに、目指すべき社会の重要な要素がぎゅっと詰まっているような気がするのです。

画一的な教育や教育制度は産業革命や大量生産、そして世界大戦を繰り広げる社会では必要だったものだと思いますが、この100年くらい、少なくとも僕らの小さかった頃と比べてもほぼ変化・進化していません。産業革命を終え、今度は情報技術による革命が社会を変えつつある中では、直近の100年ではなく、300年前の寺子屋の方をむしろ参考にすべきなのかもしれません。 皆さんも何か行き詰った時など、この寺子屋のイラストを眺めたりすると、別に何に縛られることもなく好きにして良いんだ、と思えるかもしれません。(拡大して見るのがオススメです!)

ちなみにこの文章を書いていて思い出したのですが、伊藤穰一さんの5年前のWIREDのエッセイも素晴らしくオススメです。 『学ぶべきは、「何を学ぶか」ではなく、「どうやって学ぶか」』