金曜日は大阪で商談だったのですが、夕方に採用面談も一件ありまして、そこで面談相手の方に採用ページに寄せている僕の文章にとても共感してエントリーを決めたと仰っていただいた。はてどんな文章を書いたかなと見てみたら、結構良いこと書いてあったので再掲。それにしても半年ぶりの大阪は相変わらずの人の多さで、観光客が多けりゃ良いというわけでは決してありませんが活気があることは間違いなく、皆良い顔をしているように思った次第です。 ==== もし働かなくても日々の生活が保証されたら、その先自分は、人はどうするか。 思い返せば学生の頃から、いろんな形でこの問いに向かい合ってきたような気がします。 働かなくても生活が保証されるなんてあり得ない、SFのような架空の話でしょうか? 僕はそうは思いません。 社会は数々の技術革新・資本の蓄積により確実に豊かになり、休みは増え、保障も手厚くなりました。政府が国民に一定の金額を給付するベーシックインカムの導入、そしてAIによる大半の仕事の代替にはまだ少し時間がかかるかもしれませんが、社会は確実にその方向に向かっているように思います。
冒頭の問いに対する僕の答えは、こうです。 歌を歌うのが好きな人は、歌えば良い。 子どもがとにかく可愛くてしょうがない人は、とことん家族と過ごす時間を増やせば良い。 お金のために働く必要がなくなっても今の仕事を続けたいという方もいるでしょうし、それはとても素敵なことだと思います。 とってもシンプルですが、とにかく抱いた関心を大事にすること、興味の赴くままに流されてみること。 それはとても人間的で楽しく、かつコミュニケーションや移動のコストが劇的に下がった現代においては思わぬ出会いや仕事に結びつくことも少なくないはずで、理にかなっています。 何よりも大事なのは興味関心。情熱。 それらをうまく活かせるように最適化されつつあるのが現代だと思えば、今の社会もそんなに悪くありません。(楽観主義ですみません)
けれどいきなり何かに興味を抱け、関心を持てと言われても無理な話。そこで経験の出番です。
“The only source of knowledge is experience.” 何かを学ぶためには、自分で経験する以上にいい方法はない。(アルベルト・アインシュタイン)
“Wisdom is the daughter of experience.” 知恵は経験の娘である。(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
尊敬してやまない偉人も経験の重要性を説いているのは、彼らも経験の中にだけ興味関心の起動スイッチが秘められていることを知っていたからではないでしょうか。 経験を通じて脳内の想像の外側に触れること、皮膚という身体的境界の外側と相互作用すること、そこで自然と湧き上がる喜怒哀楽好嫌旨不味、様々な感情こそが興味関心を起動させていくのだと思います。
ぜひ一緒に経験の種まきをしていきましょう。 ぜひ一緒に働く環境を標榜しましょう。 素敵な方々と出会い、一緒に過ごせる日々を楽しみにしています。