好きな言葉「窓際族」。

昔、窓際族という言葉が流行ったことがあった。 今でも僕はこの言葉を時々思い出すのが、なぜかというとこの言葉が嫌いではない、むしろ好きな部類だからだ。 窓際族というのは雇用に厳しい日本社会で、もう社内であまりやるべき仕事はないけれど解雇もできないので窓際でおとなしくしていてもらう、高度成長期の大量採用の結末的な話だったと記憶している。

なぜこの言葉が嫌いではないかというと、それは窓際族という言葉には、労働はそもそもありがたく尊いものだという含意がある気がするからだ。 仕事はないけどサラリーは貰える、それが窓際族だが、ともすればこれは「何それ、ラッキーじゃない、羨ましい」と思われかねない状況にもかかわらず、それを敢えて窓際族という呼称で蔑んで見るというのは、やはり働くことは楽しく意義深いことだし、働くことや働いている人への敬意や畏敬の念がある、そういう社会的合意があったからこそ窓際族という流行語が成立していたのだと思う。でなければ窓際族=アーリーリタイアみたいなサクセスストーリーとして語られていたのではないか。

僕は起業して10年になるが、今でも仕事が好きだし働くことが楽しくて仕方がない。この調子で色んなことに興味関心を移しながらチャレンジをし続けていきたいなと心底思う。そういう価値観を、一見真逆の意味に捉えられがちな窓際族という言葉が意外にも一本筋の通った形で表現してくれている気がするのだ。

働くことは時間の切り売りではない。今、会社組織としての体裁を整えるために就業規則の整備などをしているのだが、そのために色々話を聞いてみると、どうも最近の仕事は時間の切り売りのようになっていて、それは給与計算の方法が就業時間や日数がベースに組み立てるルールとなっていることからも見て取れる。 一定時間働いて初任給20万そこそこ、うまくレールに乗れば最後は50-100万くらいもらえることを前提に最適化された社会では、それをベースにあらゆるものの値段が決まっているのだと思うが、田舎に行けば一週間お金を使わずに過ごせる地方が今でもたくさんあるのが現実だし、一方で世界に影響を与える良い仕事をした人は莫大な富を築いて一泊数百万のホテルに泊まるのも厭わないなんてこともよくある話。 いくら稼げるのかはあくまでも選んだフィールドや業態、そしてその結果に過ぎなくて、やはり大事なのは何に興味をもち、関心を抱き、その興味関心に根ざして仕事をするかどうかだ。 インターネットという革命的ツールは、世界中のひとりでも多くの人を、そういう方向へと導いていってくれるものだと今でも本気で期待している。

トムソーヤは親から命ぜられた壁のペンキ塗りというつまらない仕事を楽しいことのように見せかけて、しまいには興味をそそられた友達に全部やらせるという有名なエピソードがある。 酒蔵に生まれてつまらないと思っていた仕事を、外国人が面白がって大挙するのを見て稼業に対する価値観が変わったりするのも同じような話だし、僕の会社だって最初はみんなに「大丈夫?稼げてる?」と惨めに思われたりしたけど最近はとっても有能な人が門を叩いてくれるようになってきた。

最近は仕事の経験をさせてもらうのに対価を払う仕事旅行のようなサービスもあれば、日本酒を作るプロセスに大勢の素人が参加するCrowdProductingみたいな概念も出てきて、いよいよ働くことと対価をもらうこと、対価を払うこと、そこら辺の境界線が曖昧になってきていて、でもそれは働くことの意義や尊さを見直すというベクトルを向いている点で一貫しているように思う。 そんな価値観をより早く広めるべく、自分としても一役買いたいところ。