イランの壷商人に学ぶ、物の売り買いの奥深さ。

▼最近“プロモーション”について調べたり考えたりすることが多いのですが、プロモーションというのはかなり売り手寄りの物言いであり、それは買い手から見れば“買うという行為”の一部に過ぎません。 つまりプロモーション方法をデザインすることは、買う行為をデザインすることとかなり近いんだということに気がつきました。 ▼そんな中、五木寛之さんの<『生きるヒント?自分の人生を愛するための12章 (角川文庫)』という本の中で、「買うという行為」ひいては「商売をすること」について深く考えさせられる文章に出会いました。 イランで飛行機の時間が迫っていたために急いで壷を購入した五木寛之さんに対し、友人がアドバイスをした内容です。 とても良い文章なので、少し長いですが引用してしまいます。 特に接客商売をされている人や企業ではテキストにもなり得るのではないでしょうか。 しかしこの文章を書かれた五木寛之さんのご友人も、かなりの文筆力ですね。

 イランは世界の歴史の中でも最も古く商業の発達した土地のひとつです。長い時間をかけて、人々は物を売ったり買ったりすることを単なる経済行為から、ひとつの文化的な芸にまで向上させていきました。  もしもその骨董屋であなたが涙壷を買おうと思うなら、まず、少なくともまる一日は時間をとってください。それができなければ、お昼から夕方までの四、五時間を用意していただきたいものです。そして、買おうと思うものについてのきちんとした予備知識を持ってください。服装をととのえ、ひげを剃り、そして好奇心に満ちた、いきいきした気持ちでお店にはいってゆくのです。  店では、まず淡々とした表情で店内を一周する。老いた店主が分厚い眼鏡の奥から、さりげないそぶりであなたを観察しているでしょう。そこでは両者が互いに海面下で静かなエールの交換を行っているのです。目指す涙壷があっても、その壷にはいきなり手を出したりせず、ほかのものを丹念に見ましょう。  そのあとで店主のところへ行き、今日の午前中は涼しかったけれども午後はひとしおの暑さですねとか、この土地は初めてですが、この店の名前の由来はなんですかとか、おだやかに話しかけてください。店主は丁重にあなたの質問に答えてくれるでしょう。やがて、きっとガラスの容器にはいった熱い紅茶をすすめてくれるはずです。更に盛られた角砂糖は紅茶の中へ入れてはいけません。その岩塩のような砂糖の塊を口の中に入れ、舌先でころころと巧みにころがしながら紅茶を一口すすります。口の中の砂糖がちょうど溶けおわるころにグラスの紅茶が空になれば上々です。  さて、そこから涙壷を指差してその由来をたずねましょう。店主はその壷を運んできて、いろいろと説明をしてくれるはずです。あなたはそれに対してローマン・グラスの起源から現代のガラスまで、自分がガラスについての知識と興味を持っていることを言葉少なに相手に伝えましょう。それからしばらく両者は店頭の考古学者になるのです。値段の交渉にはいったときから今度はビジネスマンになります。  しかし、性急に値切ってはいけません。ゆっくりゆっくり値切りながら、またあいだに休息の紅茶がはいり、そしてさらに、値段が折り合わないときには、あなたは礼を言ってあきらめるそぶりをし、店を出ようとします。老店主は、まこと残念だ、といった表情で別れの挨拶をします。そのへんでは今度はふたりは俳優になっているのです。あなたが立ち去るのを、一瞬、店主があらためて引き止めます。これも演技のうちです。  そして今度は弁護士と判事のようなやりとりがはじまります。そのへんまでくると涙壷の値段は、おそらく最初の半分以下にさがっていることでしょう。また紅茶が出ます。紅茶を飲んでよもやまばなしをし、ふたたび涙壷の話にもどる。そんなふうにして、古都の午後は静かにすぎてゆくのです。  やがて、最初の四分の一くらいの値段で話がまとまり、老店主は古い新聞紙に涙壷を包んで、あなたに手渡します。そしてお互いに抱き合って熱いキスを交わし、今日一日の午後が実り多いものであったことを確認しながら、二人はやがてそれぞれ別れるのです。  客を送り出したあとで老店主は心からアラーの神に感謝するにちがいありません。彼はきょう一人を商人としてじつに実り多い有意義な時間として過ごしたのですから。  ある時は俳優となり、ある時は学者となり、ある時は弁護士となり、そしてある時はビジネスマンとなり、さまざまな人生の役割を、物を売り買いするというたったひとつの舞台で演じきった満足感は、たとえようもないはずです。彼はその晩、商人としての自分の人生に誇りと喜びを抱きながら安らかな眠りにつくことでしょう。生きるために商売はしているのだが、商売をするために生きているのではない、というのがきっとその老人の心の中にある気持ちなのではないでしょうか。  今度、イランのバザールで絨毯をお買いになるときには、どうぞ、物を売ったり勝ったりするというだけのことではなく、この国に伝わる「買う」という文化の精髄を十分お楽しみになってください。それが私の心からお願いすることです。

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