教育・子育ての本質は、待つこと。

▼ハイパーおばあちゃんが通っていた学校の校長先生が、子供の教育に関して書いた『「内発性」をどう育てるか』というエッセイを読んだ。 電車の中で読んだのだが、とても感動して、思わず涙が出そうになった。 以下、最も感動した部分を、少し長いけれど抜粋。 「しかし、待つことによってしか育ってこないものも、またあるのだ。 子供のうちに、人知れず、しかし、確かに確かに育ちゆくもの。それは、地中深くに宿された種のように、いつの日か、「時満ちて」外に現われてくるものとして、子供の内奥で日々成長する何かである。それこそが、後に、世界に二人といない「本当の自分」の固有の感覚と思考を生み出す中核となるものであり、自分を内から支える内的基盤となるものである。これは「内発的に育ってくる」のを「待つ」しかないものなのである。 そして、子供自身がこの「内なるもの」に目を留め、その内実を見極め、膨らませていくためには、「待っていてくれる大人」が、どうしても必要である。親や教師に「待ってもらっている」と感じている子供は、自分が「信じられている」ことを知っている。そういう子は、外側ではどんなに揺れても、最終的には崩れない。そして、納得のいくまで自己探求の旅をしつづけることができるのだ。」 ▼なぜそんなに感動したのかと言うと、まさに僕の親は、このような姿勢で僕や兄を育ててくれたから。 最近、「なぜ僕はこういう性格の持ち主になったのか」なんてことを考えたりするのだが、そういえば、幼少期に「これをしなさい」とか「これをしてはいけない」と言われた記憶は、全くない。 また、僕らをいかに育てたのかについて聞いたりすると常に「本人が気づくまで待つしかないから、自由にさせた」と答えていた。 ▼そして今僕は、外側がどんなに揺れても騒いでも決して崩れることはないであろう内的基盤となるものを見つけ、チャレンジをしている。 その中核ができあがったのは、まさに、親から受けた教育の結果に他ならないことを上記のエッセイを通じて確信した。 ▼教育は難しく語られることが多いが、本質は、とてもシンプルなのだと思う。 「あらゆるきっかけ・機会を与え、あとは、待つ」 潜在意識の中ではしっかり理解していたのかもしれない。 だからこそ、一人でも多くの人に一つでも多くのきっかけを提供するために、この事業をやっているのだから。 フリーエージェント社会への第一歩も、ここから始まるのだと思います。