「比喩」は便利だけれど、危険でもある

比喩は便利だ。

セグウェイは自動でバランスを取ってくれる一輪車です」 「シルクドゥソレイユは新しいスタイルのサーカスです」

僕らも自分たちの商品である体験ギフトを、 結婚式の引き出物でよく使われるカタログギフトを引き合いに出して説明することが多い。  

でも比喩は危険でもある。

セグウェイは自動でバランスを取ってくれる一輪車です」 と言ったらセグウェイは遊び道具、玩具としてしか認識されないかもしれない。 (実際にはアメリカの警察やAmazonの倉庫内での移動手段として使われたりもしている。)

「シルクドゥソレイユは新しいスタイルのサーカスです」 と言ったら今でも遊園地のオマケで終わっていたかもしれない。 (実際にはそんなことはない。これは説明不要ですね。)

僕らの商品だって、実際には引き出物で使われるケースはあまり多くなく(僕らの努力不足ですが、、、) 通常はカタログギフトが使われない誕生日プレゼントとか母の日とかクリスマスプレゼントとか、 そういったケースでの利用が多いのです。

つまり比喩を使うことによって、 本当は今までの文脈では語れないような断層的なことが起きているのに、 もしくはそういった発明をしているのに、 それを「比喩」という今までの文脈で語ることに固執することによって、 せっかくのアイディアや発明のパワーを解放しきれないケースがあると思うのです。

少し前に『ブルーオーシャン戦略』という本が流行ったけれど、 要するに比喩に頼り過ぎていてはブルーオーシャンは開拓できないよ、 ということです。