未来の仕事第9期 第4回 ゲスト:クリスメラ代表菊永英里さん

この記事は僕が講師を務める自由大学未来の仕事の講義録です。

【第一部】 ◎ゲスト:菊永英里さん ・経歴  大学卒業後、ベンチャー企業に営業職で就職。  その後、24歳で“外れないピアスキャッチ”を製造、卸販売する 株式会社クリスメラ(http://www.chrysmela.com/)を創業。  現在30歳。  ・工作好きの少女時代  3歳から中学3年までを海外で育つ。  幼いときから、おもちゃなど欲しいものが買ってもらえないと、  「手に入らないものは、作ろう」と考える。  旅行先にまで、はさみを持っていくほどで作り始めると、  集中して3日くらい寝ずに作るような子どもだった。  洋服、カバン、文房具など作ることを覚える。  ・起業のきっかけ  16歳で「社長になること」を決める。  その理由は、日本に帰国するも、  ①協調性がない(人前で話すのが得意でない)  ②電車に乗れない(切符の買い方も分からず、満員電車に乗れない)  ③アルバイト禁止(外でのバイトは危険と、禁止されていた)  「私は何もできない」という思いから、それらをせずに済む方法として、  「社長になろう」と決める。  また、15歳まで2年に1度のペースで転校を繰り返し、  自分の意思で人生を選択したい!という思いが強くなっていた。  自分で人生をコントロールするために、社長という選択肢を選んだ。   ・事業計画書  銀行で融資の担当をする父親に「社長になりたい」と相談し、  それからは、父親に事業計画書を提出することになる。  16歳から起業までの約9年間、事業計画書を出し続けた。    外でのアルバイトがだめだったので、内職を始める。  多くの時間を費やして完成させても、時給に換算すると250円にしかならず、  自分で材料を買ってアクセサリーを作って、近所のおばちゃんに売ると、  時給にして、1500円ほどになった。  しかし、「それでは自分の時給がいくらになるか、というビジネスを超えない」、  と父親から言われ衝撃を受ける。、  時給がいくらになるかを超えるビジネスを考えるようになる。   ・バンド活動とベンチャー企業への就職  人と接するのが苦手だったが、「社長になるため」、  大学では、バンド活動をし、人前に立つことに慣れるリハビリをする。    社長になること、は決めていたが、その前に社会勉強をしようと、  ベンチャー企業への就職を決める。  営業を担当し、1日400件もの営業電話をかける毎日を送るが、  そのやり方に疑問を感じ、「営業は優秀な人を雇えばいい」と考える  ようになる。   ・上司との出会い  その会社に、とても営業成績の良い、しかし身の回りの管理ができない上司がいた。  「この人からいろいろ勉強したい」と直接「私を秘書にして欲しい」と直談判。  しばらく断られ続けるも、勝手に書類を片付けたりを繰り返し、次第に  その上司から頼られる存在になる。  何かあったら、「菊ちゃん」と呼んでもらえるようになり、  3か月たったときに、秘書になることを認められた。  資料の作り方や、仕事の取り組み方、考え方を教わった。 ・ピアスキャッチのアイデア  デザイン性のあるものや、既に大手が手掛けているものは、父親から「優位性がない」 と言われていた。  あるとき、当時の彼からもらったピアスをなくし、それが彼の家のタンスの裏から  見つかり、喧嘩になった。言い返す言葉を考えていたとき「外れないピアスキャッチ」 のアイデアを思いつく。  父親からも「ニッチな商品」とOKをもらい、結婚資金として貯めてもらっていただろう お金を融資してもらう。  デザインをA4の紙に描いて、製造してくれる工場を何社もあたり、  商品が完成したあとも、販売してくれるお店を何社も探し、  ようやく販売開始にこぎつける。 ・現在  ピアスキャッチの販売開始から3年半で、まもなく35000個の販売を達成。  卸業のみで、卸先は、Netと宝石店が約半数ずつ。  キャッチ単体での販売ながら、2010年には、楽天ジュエリー部門で  ランキング7位に入るなど注目されている。  また、海外での販売も開始している。  外れないピアスキャッチであるため、リピート購入が少ないので、  常に新規顧客をとり続けていくことを求められるため、あえて自社販売はしていない。  また、ピアスも一緒に販売してしまうと、宝石店などが販売してくれなくなるので、  ピアスキャッチのみの製造に徹している。  製造は、長野県の工場で行っており、9つの部品を手でピンセットを使って組み立て、  8キロまで耐えられる世界最強のピアスキャッチとして、特許を取得している。  (海外特許も申請中) ◎質疑応答 (問)今後の予定は? (答)拡大することが幸せだとは考えていない。    (婚約中の)彼と2人で幸せに暮らせればいい、と思っている。    発明は好きだが、「発明おばさん」になりたくはない。    ビジネスとして成立するもの、お金をもらえるもの、ありがとうと言ってもらえる   サービスやものが作りたい。 (問)素晴らしい商品を世界中に広めたい、という気持ちはない? (答)アイデアだけ売ることもできるけど、まずは商品として育てて    多くの人に価値を認めてもらえたら、手をあげてもらえることもあるかも。    今は日本で手で作ることにこだわっているが、例えば、YKKのように、    大量生産に舵をきることがあれば、そのときは私は手をひくつもり。 (問)ぶれない、これでいこう、という確信はどこから来るか?迷うことはないか? (答)勘はいいほうで、この人はつきあわないほうがいいな、という勘は外さない。    あとは、「決めた」だけ。自分で「決める」ことが大事。    妄想するのが好きで、常に様々なルートを想定している。    こうなるといいな、こうなる可能性が高いな、というストーリーを考えている。 (問)売れないストーリーはなかった? (答)そもそも売れない以前に、製造ができなかったし、製造できても売って    もらえなかった。    でも、期限を設けていて、1年探して製造ができなかったら、就職しよう、    と思っていた。    思っていると叶うもので、期限までに製造ができたし、3年でアメリカに展開    しよう、と思っていたらその夢もかなった。 (問)社長になることは、ものづくりがあってのこと? (答)9年間たくさんアイデアは出していて、もの、サービス、こだわりはなかった。    ただ「社長になること」は決めていた。    図面を見るのは大好きだが、最近はデザインも図面も描いていない。 (問)就職を経験してよかったことは? (答)初めから独立を意識していたので、上司にもそのことを伝えていて、    勉強させてもらった。    ホームページや名刺のデザインも、会社で担当の人に聞いて教えてもらって    いたので、起業当初の外注費用は安く済ませることができた。 (問)未来の仕事とは? (答)生きる=仕事    仕事と生活を分けたくない。    今まで自分一人でやっていたが、今は彼と2人のチームになった。    会社は、最小人数4人いればいいと思っている。    ドラクエでいうなら、自分が勇者(社長)、彼は僧侶(管理担当)。    あと、タイミングが合えば、戦士(営業)、魔法使い(デザイナー)が見つかると   いい。    震災以降、働き方も考えていて、東京にいる必要もないので、    日本の別の場所、または海外で働く可能性もあるかもしれない。 ◎その他:彼とつきあいを始めるまでの話、結婚の話

アクティブだけれど決してガツガツしていない菊永さんの雰囲気がとても好印象。 IMG_0698

【第二部】 ◎市川恵さんによるプレゼン ・現在、大学4年生  去年9月頃から周りが就職活動を始め、焦り始める。  12月頃には、就職しようと考える  今年2月になり、改めて自分を分析。  今、踏むべきプロセスが逆転してしまっている、  一つ一つ目の前のことを着実にクリアしていこう、と考え、  就職活動の前に「卒論」をまとめよう、と決める。     「なぜ教育学をやっているのか」と思い返して  「"Sudbury Valley School"を研究するため」だと、原点を振り返る。 ・"Sudbury Valley School"を知るきっかけ  テレビで高校生のときに見て、その後「世界一素敵な学校」という本を知り、  興味を持つ。 ・"Sudbury Valley School(サドベリーバレー校)"とは、  カリキュラムがなく、生徒達の自己選択、自己決定によって決まる。  4歳~入学することができ、卒業も自分で決めるが大体18歳くらいで卒業する。  (卒業もスピーチを発表し、卒業しても大丈夫だと、皆から認められて初めて   卒業となる)  何か問題が起これば、みんなで話し合いをし、大人のスタッフ(先生とは言わない)  と生徒達が等しい1票を持ち、ルールなどを決定している。  自由度が高いが、それはイコール責任が伴うことを生徒達は理解し、行動している。 ・日本のキャリア教育との違い  日本でも「シティズンシップ教育」と名前をつけて、取り組みを行おうとしているが、 そのように名前をつけなくても、サドベリーバレー校ではすでに実施されていること。   →"Sudbury Valley School"を研究し、言説によって立証し、卒論にまとめたい。   卒論にすることで、問題意識がわかり、解決するためのアプローチが分かり、   結果、実際に自分が何ができるのか、が分かるのではないか。 ・日本の教育はどうすればいいか  ◎一人ひとりが「市民」になる必要がある  ◎地域コミュニティをつくる必要がある    実際にサドベリーバレー校を見に行ったこともあるが、  そもそも日本でも同じように「学校」である必要があるのか。  年上の人や大人の人、もしくは年下の人にでも、自分の知らないことがあって、  知りたいことがあれば教えてもらうのが、サドベリーバレー校のやり方。  学校でなくても、地域ができればいいのではないか。    しかし、そのための地盤も歴史もないところに急に持ってくるのは難しい。   ・そこでわたしは何ができるのか  現在は、各地域で学校が核になっていることが多いので、  まず「社会科の先生」になり、社会科の先生という職種をツールとして、  これまでの社会の成り立ちがどうであったかを生徒達に説明する人になる。  そのうえでどうありたいのか、を考えることが未来の仕事だと考えている。  ・そして、先生になるのであれば  面白い人間になりたい。   世の中を味わいたい。  人生を遊びつくしたい。  いろいろな人に出会いたい。そう思って、自由大学に来た。  こういう人間であり、こうありたい の結果として、職種を選ぶべきではないか。  わたしは、どうありたいか?  社会と生徒(社会にとってのルーキーズ)をつなぐ媒体者になりたい!  だから、社会性のない先生にはなりたくないし、世間を知らない先生では  ありたくない。    なので、みなさんこれからもつながっていてください。  いろいろなことを教えてください。 ◎質疑応答 (問)どうして社会科の先生、なのか?    わざわざ先生になっても、自由に教えられない場合も多いのではないか?    サドベリーバレー校を創る、ことは選択肢にないのか。 (答)日本にそのまま持ってきても根付かない。    アメリカの建国やフランス革命の歴史があったうえで、サドベリーバレー校は    存在しているから。    今、自分ができることの手段として、社会科の先生がある (実際に社会科の先生だった経験のある吾郷さんから)    自由にやらせてくれる学校もあるし、そうではない学校もあるので、    それぞれ違う。     (第一部のゲスト菊永さんから)    ラスボス(最終目標)を決める、のが大事なのでは。    その途中、途中で中ボス(中目標)を決めて、期限を決めてやればいい。    一度学校の先生を経験してみるのも、ラスボスに達するための1つの道では?

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