偉大なり、福沢諭吉。

▼今日は珍しく休日出勤。のんびり仕事をする。 ゆうすけ、太誌、来てくれてありがとう! ▼今更になって、福沢諭吉の偉大さが分かってきた。 その背景や流れは『日本という国』の前半部分の要約を以下に書いた通りだが、要するに、「農民の子供は農民、商人の子供は商人」という江戸時代からの流れの中で、(『学問のすすめ』等を通じて)「これからは、勉強したやつが偉い」という新たな価値観を提示し、実際に学ぶ場としての慶應義塾を創設した。 物凄い先見性、そして伝達力、行動力。見習うべし。 ▼以下、『日本という国』前半部分の要約。 ・福沢諭吉は、人間社会には2つしかないと考えた ・一つは、「農民の子供は農民と決まっていて、平民は無教育にとどめ、支配者だけが知恵を持っている身分制の国」→東洋の国 ・もう一つは「一般人も教育して心身を発達させ、自分の欲望を追及するために他人を蹴落としながら自由競争をし、経済成長をする国」→西洋の国 ・西洋の国の中にはどうしても、知恵は身に付けたが貧しい者が現われる ・彼らは不満を持ち、国内が乱れる(欲望の発達に精神の発達が追いつかない) ・そこで東洋の国を侵略&植民地化し、貧富の差を解消するよう努める ・日本は依然として、江戸から引き続き典型的な東洋の国だった ・しかし西洋の国の侵略は目前まで迫ってきている(インド、中国・・・) ・日本が侵略されないためには、侵略する側になるしかない ・そのためには人々を教育して、国を強くする(経済力、軍事力)必要がある ・そこで1872年に学制が交付され、福沢諭吉は『学問のすすめ』を出版(これが大ベストセラーに!) ・『学問のすすめ』では「これからは勉強したやつが偉くなる」と主張したが、「農民の子供は農民」という江戸時代からの流れの中で、この主張は画期的だった ・当初は就学率があまり高くなかったが、明治20年頃から一気に高まった(40%(1890年)→92%(190年)) ・理由は、日清戦争によって得た賠償金を基に教育基金が作られたこと(その結果、授業料がタダに)、そして近代産業が勃興してきたこと(工場や会社で働くのに読み書きや計算は不可欠) ・つまり勉強すれば高い利益を得られることが約束された ・一方で「知恵は身に付けたが貧しい者」は依然として問題なので、道徳のような授業を通じて日本という国に尽くさせるための教育が行われるようになる ・こうして学歴社会の礎が築かれた ・その後(一気に飛ぶが)高度成長期に高等教育の就学率が上がり、受験戦争が当然になっていく