ソニー創業者井深大さんの『自由闊達にして愉快なる』が本当に愉快なので一部抜粋してみた。

昨日、腰を痛めて終日退屈していたので、先日読んで面白かったソニー創業者井深大さんの私の履歴書の中で、特に記憶に残った部分を書き出してみた。 どれも昭和21年(1946年)のソニー(当時は東京通信工業)設立直後の出来事とはいえ、今やグローバル企業となったソニーにもこんな時代があったと知れば勇気付けられる方も多いのではなかろうか。他でもない僕がとても勇気付けられたし、何だかとても愉快な気分になった。参考になれば幸い🤗(ちなみに各抜粋のタイトルは僕が勝手につけたものです。)

SONYの名を冠せないインチキ商品の企画販売(P.60) 21年8月に資本金を60万円に増資した。当時『銭形平次』の出版で現金には不自由していなかった野村胡堂さんにもうんと出資してもらったのもこの時だが、新円不足は役所仕事が主なだけに深刻だった。 仕方なしに電熱マットというインチキ商品を考えた。これままず細いニクロム線を格子状に2枚の美濃紙の間にのりづけし、これにコードをつけたものである。もちろん石綿などという気の利いたものは入手できず外側のカバーも繊維製品は統制で手に入らないので本の表紙などにするレザークロスを買ってきて、ミシンをかけてこの中に美濃紙の発熱体を入れたわけだ。さすがに気が咎めるので会社の名前入れるわけにいかず、銀座ネッスル商会(熱する)としゃれて逃げたものだ。 売る物のない時代に、これから寒さに向かう時だっただけに値段も手ごろだし、つくるだけでいくらでも売れた。家族総出でミシンをかけたり、コードをかがったりして新円を稼いだ。

◎リアリティ溢れる資金繰りの瞬間(P.64) 工場の移転だの仕事の増大だので会計の方は苦しい連続だった。どうにもせっぱつまったのでこれは銭形の親分に頼むよりほかないということになり、盛田君と2人で野村胡堂さんの高井戸のやしきを訪れた。野村さんには増資のとき厄介になったばかりなので気が進まなかったが背に腹は変えられなかった。 5万円借りるつもりで出かけたのだがどうしてもこれが言い出せない。やっとのことで口から出たのは「3万円だけ新円で拝借したいと思いますが・・・」という言葉だった。 これを聞いて盛田君はびっくりしてしまった。あとの2万円はどうするんだろう。盛田君もとっさの思いつきで「もう1万円お願いしたいんですが・・・」と付け加えた。さすがの盛田君ももう2万円とは言い出せなかったのである。野村さんは奇妙な2人のやりとりをみて「うん」とうなずいて快く貸して下さった。足りない分は盛田君の実家から融通してもらい、22年の正月早々、東京通信工業の2つの工場と事務所は御殿山に終結を終わった。

◎激しいパーティをやり過ぎて資金不足→給料遅延(P.67) この工場ができた24年はまだ食糧事情の悪いころで、食べ物には魅力があった。そこで工場の完成を祝って食べ放題、飲み放題のレセプションをやろうということになり、時の総務部長の太刀川正三郎(現ソニー企業社長)が東奔西走して、すし、焼き鳥、支那そばなどの屋台を出した。山海の珍味を買い集めての盛大な祝賀会になった。 当日は万代順四郎、前田多門、緒方竹虎石橋湛山高橋龍太郎山際正道佐藤喜一郎野村胡堂の諸氏をはじめ天下の名士、取引関係者200名が集まった。お客さんの招待が終わってから従業員や家族が集まって大いに立ち食いした。さすがのすし屋も手のひらにマメをつくるほどだった。 だがこの豪華なレセプションを開いたためその月の給料日に金が足りず給料遅配という事件が起こった。現金繰りを誤り、金策が間に合わなかったのである。そこで3分の1を給料日に残りの3分の2は月末に払ったが、これが当社の従業員に対するたった一度の遅配(幹部はその限りにあらず)で、以後これに懲りて、万代さんが会長に就任されるまでパーティというものを開いたことはなかった。

※これ以降は井深大さんではなく日経新聞の方による執筆

◎英語の辞書にも載ったポケッタブル(P.126) 井深はネーミングの才能もなかなかのものである。「私の履歴書」に出ている、東京通信工業時代の1957年に発売した世界一小さなラジオ「TR-63」に「ポケッタブル・ラジオ」という愛称をつけている。ポケットにも入るくらい小さいという意味だが、このpocketaleという言葉は井深が作った和製英語である。今では英語の辞書にも載っている。 感性豊かなだけに、造語能力は冴えていた。テレビの画像をくっきりさせることを、「キリリティーをよくしろ」と言っていたそうだ。「解像度」がどうしたこうしたよりも「キリリティー」の方が感覚的にぴったりくる。

◎自由闊達にして愉快なる理想工場の建設 有名な東京通信工業設立趣意書の中の「会社設立の目的」、8項目あるうちの第1項目 「真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」