見せネギ

袋やカバンから飛び出しているネギは生活の象徴だと思うのは僕だけでしょうか。家着姿でちょろっと買い物に来ましたという人も、何だかとってもスタイリッシュなお兄さんお姉さんも、はみ出るネギの前では皆平等です。昔から思っていたことなのですが、最近はスーパーに食材を買いに出かける機会が増えネギ人を頻繁に見かけるので、この想いを改めて強く抱いたのでした。
そういえば半年ほど前に講演で呼んでいただいた松戸はネギの名産地でした。矢切ネギと言うらしいのですが、太くて柔らかく、瑞々しいとのこと。その立派な見た目故に贈答用が中心でスーパーや八百屋にはあまり並ばないようですが、どうなのでしょう。一度どこかで取り寄せて、食べてみようと思います。

「座して待つ」ができない人へ

今、医療機関だけでなく保健所の業務も逼迫しているようだ。(ちょうど今日、保健所の設置数が90年代からほぼ半減しているというニュースが流れていた)それもそのはずで、PCR検査の調整や、もしオフィスや工場等で感染者が出た場合の対応も保健所が行なっているというから、多分めちゃくちゃ忙しいのだろう。
僕の自由大学の講義を受講してくれたSさんは今、ジェラート屋の開店準備を進めているのだけれど、先日zoomで話したら保健所での食品販売営業許可などの業務が完全にストップしているようで、思うように準備が進められず困っていた。そこで販売ではなく無償で郵送する形で、気に入った人には同封したQRコード宛に投げ銭的にPayPayやLINE Payでおひねりをいただくような形にしたら良いのではないか。少し調べてみると、諸説ありそうだが無償であれば(許認可でなく)届出さえしていれば大丈夫なようだ。いくら集まるか分からないが、案外払ってくれる人はいる気がするし、何度かやってみれば気持ち良くおひねりを促すようなやり方もきっと見つかると思う。そんな話をしていたのだが、実験は進んでいるのだろうか。反応が楽しみだ。
そういえば1ヶ月ほど前、ソウ・エクスペリエンス社員の全体ミーティングをzoomで行った際、冒頭に10分くらい、プロのマジシャンをお招きしてトランプ・マジックを披露していただいた。マジシャンも仕事が減って困っているということでテストも兼ねた試みだったのだが、終了後に画面を通じたQRコードの投げ銭で確か数千円が集まったと言っていた。多いのか少ないのか分からないが、なかなか面白い体験だった。
今は身動きの取りづらい時期ではあるけれど、少し工夫すれば何かしら動いたりトライする方法はあるはずで、やっぱり下手な鉄砲も100撃てば当たるのだと思う。100撃つ前に当てたいけど。

スポーツ under コロナ

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今日は午後、1時間ほど家の近くでテニスをしてきました。(一人赤ちゃん連れてきたママが、子供を寝かせるために駐車場内を車でぐるぐる回っていて笑えました。そして、失敗。)近隣住民とサクッとテニスして、リフレッシュしてまた仕事に戻るというのは在宅ワークの大きな利点と言えそうです。そしてテニスは外で楽しめるし密度も薄いし、比較的安全なように思います。一方で卓球やバスケットなど、室内で、かつ比較的密度高めで行うスポーツはこれから暫くどうなっていくのでしょうか。もちろん、好きな人はこれからも続けるのでしょうし、プロスポーツなども無観客をはじめ様々な対策を講じながら再開していくのでしょうが、一方で子どもの習い事としてのスポーツは少なからず影響を受けるようにも思えます。他にも近場で習える一見安全そうなスポーツがありそうな中で、どのような選択をすべきなのか、なかなか悩ましい問題です。というのも、我が家の長男君は卓球を習い始めたばかりでのコロナだったので、今後どうするか、近々話し合いの場を設ける予定です。その代わりと言うわけでもないですが、最近彼は、先日友人が自宅に置いて行ったスケボーに乗り始め、最近の移動はもっぱらスケボーという風になってきたので、まぁ色々試す良い機会かもしれません。あと浜での幅跳びも何故か突発的に習慣化していて、なんだか最近様になってきました。ただひたすら、見守るのみです。
あー、早くBリーグとNBAとF1が観たいなぁ〜

聖域なき諸々再考

せっかく人の生活に土足で割り込んでくるような性質をもつ電話というものがなくなりつつあるのに、さらにまた割り込んできて欲しくないという理由でスマホの通知はほぼ全てオフにしているのだが、それは生活や仕事の中で今自分がやるべきことに集中できるという意味でかなり奏功している。似たような話が今の緊急事態宣言下の仕事にも言える気がしていて、無駄な出社や移動、資料やプレゼンが根こそぎなくなり企業はかなり身軽になった、のだろうか。
油断は禁物だけれど宣言解除の目処がつきつつある中で、これからどんな選択をするかは結構大事なのではないかと、先ほど今後のオフィス体制について話している中で強く感じた。せっかく良いチャンスを得たのだから、そしてある種の免罪符を得たようなものなのだから、不要なものは不要と割り切って色々アップデートしていきたい。この1〜2ヶ月を振り返ったり先のことを考えるのに、今はちょうど良いタイミングだと思う。

「他者に善くする」行為のアシスト

「他者に善くする」という行為をもっと簡単に、もっと普遍的にできないかということを最近考えている。「他社に善くする」という言葉の定義はかなり曖昧だけれど、まぁそれは一旦置いといて。
「他社に善くする」という観点で世の中を見回してみると、結構面白い。そもそも仕事は(色々あれど)誰かを便利にさせてあげたり楽しくさせてあげたりすることを通じて他者に善くしてあげることが究極的な目標だし、ボランティアや寄付というのも他者に善くする行為の代表例。外国人に道案内してあげることも年配者に席を譲ってあげることももちろんだし、お店で接客してくれた店員さんに丁寧にお礼を伝えるのも他者に善くする行為だろう。子育ても、子供という大変手間そして負荷のかかる他者に対して長期にわたって善くしてあげる行為と捉えることもできそうだ。

そしてこれらの他者に善くする行為というのは、全般的にとっても気持ちが良いもで、それは生活や人生の中で感じる幸福度合いと密接に関与していると思うので、改めてこの「他者に善くする」ことについて再考し、整理しようと試みている。

そういえば昨日、こんなことがあった。鎌倉駅まで自転車で向かう途中によく寄るパン屋でパンを買ったら、さすがに顔を覚えられたのかおまけにラスクをいただいた。電車で買ったパンを食べたらもうお腹一杯だったので、ラスクはそのまま食べずに鞄の中へ。オフィスに一番乗りで到着してしばらく仕事をしていると、いつもの掃除のおばちゃんがやってきた。伽藍堂のオフィスにいつもと変わらず掃除にやってきてくれるおばちゃんに何だか心を打たれ、そもそも頂き物であったラスクと、同じく鞄に入れたまま食べ忘れていたみかん(のようなもの)をプレゼントしたら、とっても嬉しそうにポケットにおさめてくれた。掃除の仕事をしている最中に荷物を増やすのは少し気が引けたし、このコロナ下で丁寧に包装されたわけでもない食べ物を受け渡すことも少し気が引けたが、でもありがとうと喜んでくれたおばちゃんの笑顔がとても印象に残って気持ち良い気分になった。

僕はこれまで、人と人や、人と外部環境のインタラクションは多ければ多いほど良いと考えていて、それはその方が各個人の経験の蓄積が加速されて興味関心が広がっていくからだという理解で、それは今でも間違っていないと思うけれど、もっと単純に「他者に善くする」行為そのものに少しずつ関心が移ってきているようにも感じる。そういえば昔オフィスに車を止めといて、帰ろうと思ったら車がピカピカになっていたのはとても嬉しかった。その時の大家さんのイタズラしたような顔は今でもよく覚えている。
自分の生活の中で無理のない範囲で他者に善くしていくことはもちろんだが、そんな他者への働きかけの輪が広がる、アシストできるような取り組みというのは、ギフトを生業にするソウ・エクスペリエンスとしても考えるべきことだし、個人的にも時間をかけて掘り下げていきたいテーマだ。
そういえば1ヶ月前くらいに『世界は贈与でできている』という書籍を出版した塾講師であり哲学者である近内さんにお目にかかったが、「他者に善くする」というテーマで改めて会って話してみようと思う。