名付けるのが難しい感情

長男が中学生になり、ものすごい勢いで自分のもとから離れていくのを感じます。背もまだ低いし声変わりもしていないけれど、もう、日々離れていくイメージ。

もちろん今も仲良しです。朝は僕が起こすし、朝食も夕食も概ね一緒。昨晩も一緒にバルサの試合を観に行って、そのままホテルに泊まって朝一緒に部屋を出たり。夕方とか夜は海沿いを10分くらい一緒に歩くのもここ最近の日課で、僕にとって日々の密かな楽しみです。

けれど彼が生まれて以来、割と多くの時間やリソースを子どもとの関係性に使ってきたので、その分、変化が大きく感じられるのだと思います。

家族サービスなどと思ったことは一度もありません。単純に、家族と過ごす時間は楽しくて、特に子どもが大きくなり手が離れていくのは時間の問題。ペットのように可愛がれる時期は限られているから、何にも増して優先する。このあたりの考えは、この10年以上ほぼ一貫しているので、後悔みたいなことはほぼひとつもありません。けれどやはり、今は来るべき離陸のタイミングが一気に押し寄せているなと感じます。

今まさにひとりの人間が人格を確立し、独立しようとしている。経済的な独立はもう少し先だけれど、人格としては確実に独立しつつある。自由からの逃走ではなく、自由を獲得しようとしている。そういう静かな意欲や気迫を感じるのです。そういう意味で、喜ばしいし、誇らしい。ですが、ちょっと寂しい。寂しいけど、後悔はない。そういう堂々巡りです。

幸い今はまだ一緒に過ごしていますし、一緒に自転車で旅したいと提案を受けたりしています。そんなの最高に嬉しいので、夏終わりくらいにどこか行ってこようかと考えています。

 

何が言いたいかというと、どんなに健康寿命が伸びたり、それ故にキャリアのあり方が変わったりしても、子どもが親元にいる時間は限られていて、貴重であるということです。一部の人にとっては当たり前の事実でも、社会的合意が得られている状況とは程遠いと認識してます。

でも、これを社会問題として訴えるよりは、割と、ここに書いたような気持ちの吐露が人に伝播し、行動を変えていく。そういう効果も馬鹿にできないのではないかと思い、書いてみました。

幸い我が家にはもう2人、ムツゴロウさんがよーしよーしするみたいに可愛がることのできるチビがいるので、しばらくはそちらにフォーカスしていこうと思います。