常にハイライト。 次男の通うサッカークラブの特徴を一言で表現すると、こうなります。 観戦でもテレビゲームでもなく、生身の人間がプレーするサッカー。そして試合ではなく練習。 それは、ともすれば辛かったり厳しい訓練のような内容にもなり得るはず。 けれどそのサッカークラブでいつも繰り広げられるのは、試合のハイライトシーンのような場面ばかり。そもそも練習時間の半分以上が試合。試合といっても点数を数えることはなく、時間とかも無視。とにかく連携してボールを回してゴールを目指す。ボールがコートから飛び出てしまったら、審判を務めるコーチが別のボールをポーンと蹴り出す。またそこから、次のハイライトが始まる。ひたすらそれの繰り返しです。 きっと疲れるでしょう。でもこれ、楽しくないはずがありません。 誰も点数とか気にしない。誰も勝ち負けとか言わない。本当にひとことも言わない。でもみんな楽しそう。 見ているだけでも面白いので、僕もラスト30分くらいは必ず早めに到着して、見学することにしています。 眺めていると、もちろん基礎練などにも取り組んでいます。でもそれは開始直後のウォーミングアップを兼ねてとか、待ち時間の合間に順に呼ばれてとか、そんな位置付け。 「楽しくて夢中になれば基礎はある程度身につくし、その時には自ら勝手に取り組むでしょう」 直接聞いたことはありませんが、クラブ側のそんな哲学がビンビン伝わってきます。 控えめに言ってサイコーです。 整列とか叱責とか細かな規則とか、全くない。けれどそこには独特の秩序があり、調和が生まれています。
指導するのはアルゼンチンの方々で、トップの方はマラドーナともプレイしたことのある代表選手だったとか。詳しくは知りませんが、とにかく見慣れたクラブ活動やスポーツスクールとは根本的に異なるその風景に、いつも心打たれます。サッカーという競技こそ同じだけれど、完全なる別物。 これも僕の勘ぐりですが、彼らにとってリフティングとかパス練はサッカーと思っていない可能性すらある気がしています。なぜなら後半の試合が始まる際、コーチは「さぁサッカーしよう!」と声をかけるから。え、それまでのはサッカーじゃなかったの?真相は不明ですが、可能性はあります。
だからと言ってアルゼンチンを目指せるわけではありませんし、そうすると債務不履行となり経済が混乱します笑 けれどワールドカップで結果を出したのも、そのアルゼンチン。 であればその差を認識し、少しずつ取り入れ、修正していくのが良いのでしょう。 この指導の仕方はマニュアルでどうにかなる話ではなく、運営側の考え方や生き方が色濃く反映されているはずなので、時間をかけて少しずつ。
僕は高校でもテニスを続けたかったけど、入学時に鬼の走り込み訓練があるテニス部は100%馴染めないだろうと思い断念した過去があるので、「常にハイライト」はとても羨ましい。指導法には色んな考えや賛否があるのでしょうが、低年齢であるほど「常にハイライト」で良いのでは?などと思うのでした。