今日、久々にオンラインではなく対面で取材を受けたのですが、スムーズですねー、対面。やはりオンラインでの微妙なレイテンシーは、人間の対話や思考に少なからず影響を与えているように思います。
それはそうと、取材に受け答えする中で自分の口から出てきた「ギフトに関する滞りをなくしたい」という言葉は今の自分の気持ちを上手く表現しているような気がして、自分で言って自分の脳内にメモりました。(正確には言葉としては発していない可能性も高いのですが、要は対話を通じてインスピレーションを受けたということです)
贈り物って、贈る頻度は人によってそれぞれですが、よほどのプレゼント好きじゃない限り多くの人は、何を贈ろうか、いつどこで買おうか、少なからず迷ったり困ったりしていると思うのです。それは、検索エンジンのクエリなどを調べていてもよく分かる。 どんなに迷っても結果的に何かしら見つけてプレゼントを贈ったり、もしくは何か贈る代わりに食事やレストランに連れて行ってあげたり、場合によっては手紙やメッセージを贈ってあげられたら良いのですが、実際には何となく「贈らなくちゃ」と思って探してみたりもしたけど、妙案浮かばず気づいたら月日が経ってた、場合によっては翌年になっていた、みたいなことも多いのが事実だと思います。
この、それぞれそんなに大きくはないけれど普遍的に存在している潜在ペインは、総量としては膨大です。個人に限らず法人とか、様々な主体が様々な場面で贈り物を必要としていますからね。
僕は「気持ち良い空間で時を過ごしたい」のと同じくらい「探す時間(あと待つ時間)が嫌い」という理由で比較的整理整頓をする方なのですが、贈り物もせっかく贈ろうと思い立ったのに、結果的に妙案浮かばず贈らない、他者を思いやる気持が芽生えたのにも関わらず表出せず、相手に伝わらず終わってしまうことが残念で仕方がない。何かを贈ろうと思った時、確実に脳のニューロンに化学反応が起きて、それは筋肉運動に伝達されて検索に繋がり、どこかにあるGoogleのサーバーは電力を消費して検索結果を返したと思うのですよね。間違いなく思いが相手に届くプロセスを歩み始めたはずなのに、それが相手に届かず途絶えてしまっている。それが事実で、とても残念に思えて仕方ありません。
繰り返しですが、この潜在的ペインは膨大です。単にギフトに関する情報を整備すれば良いのかと言えばそうでもなくて、Google以上の情報整備屋さんを立ち上げる自信も実力もない。でも、皆が困っていることが明らかなのだから、答えた方が良いし答えたい。(例えば緊急事態宣言化で医療従事者に謝意を伝えたいけど具体的な方法がなくて何もしなかったという人も多いハズ)最近はこんな思いに突き動かされながら少し先の未来を構想し、実現すべく奔走しています。膨大なペインがあるので、色んなアプローチが必要な気がするので。
「あ、なんかちょっと良くなったかも」
と感じていただけるように変えていければと思うので、もうしばらくお待ちください。