先日テレビを観ていたらガクトさんが特集されていて、彼は緒形拳さんを父のように慕っていて、その存在そのものが救いだったということを話していた。 救いという言葉がとても自然に出てきていて親近感を抱いたのは、僕自身が10年少し前に黒崎輝男さんの存在に支えられ、それはまさに救いだったとずっと思ってきたからだ。 当時、起業したての僕はその頃比較的身近な存在だった事業家の影響を強く受け、尊敬するし憧れるけど絶対に届かない、そういうある種の呪縛のような状態にあった。そんな中で出会ったのが黒崎さんで、彼の自由奔放な生き方、そしてその彼が「君はそのままでいい」と言ってくれたことは僕を大いに勇気付けてくれて、尊敬→呪縛→救い、、みたいなブレンドとプロセスで今に行き着いたのだと認識している。 宗教ももちろん大切な救いのひとつだが、全ての人や物事は救いになり得るし、自分なりの救いに出会えることは人生における大事な要素ではないかと思う。 ちなみに僕は今でもその事業家のことは心底尊敬していて言動も逐一チェックしているし、もちろん黒崎さんも年上の友だちのような気持ちで今でもよく会っている。 僕も誰かの救いになってあげたいところだが、まだまだ自分のことに精一杯で道半ば。