おもちゃを買う!買わない!論争の問題点と建設的解決方法

子どもはおもちゃを欲しがる。 それは不思議なことではないが、 欲しがった時にどう対処するのが良いか、 ずっと思案していたし今もしている。 (そしてギフト屋を生業としてる身としては、 それは折に触れて「親から子への贈り物」について 考えるきっかけにもなったりするのでプラスではある)

そもそも「買って」「欲しい」と言われて、 すぐに買ってあげないのは何が原因なのだろうか。

似たようなものが既に家にあるから? 欲しいものは何でも手に入ると思って育ったら困るから? わがままに育つから? お金という概念を教えるため? お金は有限であると教えるため? 家が散らかるから?

多分どれか一つということはなくて 上記またはそれ以外の複数の要因が重なり合って 「今日は(も)買わない」ということになっているのだと思うが、 それでは子どもに説明する理由としては難し過ぎるし、 だからと言って「とにかくダメなんだ」と言って 片付けてしまうやり方は個人的にはあまり好きではない。

そこでふと思ったのだが、例えば

「(その欲しいというおもちゃが)これまで君の持っているものとは違う、 何か新しい要素を備えたものであればオッケー」

というルールを設けてみたらどうだろうか。

欲しいと言うたびに、 「それのどこが新しいの?」 (子どもが精一杯説明) 「本当かな?色が違うだけで新しいというのなら、全部のおもちゃ、全色揃えるのかな?」 (子どもが精一杯説明) 「一番好きなウルトラマンなら分かるけど、そうじゃないおもちゃでそれが必要かな?」 (子どもが精一杯説明) 「なるほど、これまでは全く異なる表情をしているということか、うーむ、そうきたか」 (さらに子どもが精一杯説明) 「よし、納得した。では今日の君の説明には納得できたから買ってあげよう」 この程度で良いと思うのだが、そこに議論が生まれて、 それはとても意味のあることではないかと思うのだ。

このやり取りはもちろん親がファシリテーションしなくてはならないし、 それは結構難しいことだと思うし、 子どもも最初はありきたりのくだらない説明をしてくるだろうから、 それに懲りず繰り返し続ける必要がある。

でもそうすることを通じて 「どうすれば親が納得するか」 「親の意味する新しさとは何か」 「それが自分の思う新しさとは違うし、だからこそ議論する」 ということを子どもはおぼろげながら認知していくのではないだろうか。

ここまで書いて気づくのは、 多分おもちゃを買うこと自体が問題なのではなく、 「買わない」の一点張りで説明しない(子どもにとっては納得できない)ことが問題で、 それによって子どもが、 ・何だかよく分からないけど親が言うことには従わないといけないと思うこと (そもそも子どもはお金を持っていないので従わざるを得ない) ・さらに言えば大人が言うことには従わざるを得ないと思うこと ・そもそも「欲しい」という欲望や「面白そう」という感覚を失うこと こういう姿勢や価値観を生みかねないことが問題の根っこにありそうな気がしてくる。 興味関心を抱きそれに情熱を傾けることこそが人生における最も大事なことであって、 他のすべてに最優先されるべきと信じる僕のような人間にとって、 そのような事態は絶対に避けなくてはならない。

おもちゃを買う!買わない!論争は、 大げさかもしれないがそんな見方もできると思い、一筆書いてみた次第。

さて仕事だ仕事だ!