唐突だが「体験の価値」に関する二本立ての記事を更新。 ひとつめは「評価の定まっていない体験の価値」について。
世の中には評価の定まっている体験、つまり「きっとこの体験をすればこれくらいの効用が得られるであろう」と広く認識されている体験と、そうでないものがある。
例えばディズニーランドは、誰もが知っているし行けばどんな体験が待ち受けているか、何となくイメージがわく。 あの世界観は天才的な人の大胆な発想と優れた組織のとてつもない努力によって成立しているものだが、それ故に有名だし皆行ったことがあるし、行けば期待通りの価値が得られるというケースが大半だろう。
一方で価値の定まっていない体験もたくさんある。例えば僕は今アフリカに興味があるので「今年アフリカに行こうと思う」と言うと、大半の人は怖そう、気をつけてね、まだしばらくいいわ、と口にする。 これがつまり価値が定まっていない状態だ。今ポートランドがいきなり脚光を浴びているけれど、かつては田舎町だったし、でもその頃から関心を持ち移住したり通い続けていた人も一方でいるわだ。
キャニオニングも10年前は得体の知れないアウトドアスポーツだったと思うが、評価・価値が定まりつつある気がする。
何が言いたいかというと、価値が既に定まっている体験も大事だが、人より少しだけ価値の定まっていない体験への比重を高めると、チャンスが広がると思うのだ。 そもそも経験/体験を通じて自然とわき起こる身体的そして精神的な反応そのものが後の自分を形成する素材となり、それがExperienceの魅力なわけだが、その中でもまだ衆目にさらされていない体験を先取することは百利あって一害なしだ。
「え、何それ?」というお誘い、説明を聞いても理解できないようなお誘いがもし来たら、チャンス到来だ。