外国という母国

▼今まで自分の出生とかにあまり興味がなかったのだが、ここ1年くらい、祖父とのメールのやりとりが英語になったり、東京に住む日系2世3世が集まる会合に顔を出すようになって、ちょっと変わった自分の出生・家系に興味が湧いてきた。 昨年秋にカリフォルニアに行って、伯母と共に祖父が幼少期に住んでいた街を自分で歩いたり、曽祖母のお墓参りをしたのも影響しているのかな。

▼僕の祖父はシアトル生まれのアメリカ人として生まれ、10歳近くまでパロアルト(スタンフォード大学の近く、FacebookのHeadquaterとかあるところ!)で育った。 なぜアメリカ生まれかというと、その1つ上の世代が移民として広島からアメリカに渡ったためだ。でも実はこれはそんなに珍しいことではなく、1890年代や1900年代初頭は日本からアメリカへの移民がまずはハワイから始まり、その後ハワイでの排日を受けアメリカ本土に流れ、合計すると恐らく数十万人はいるそうだ。 その中でも広島は移民する人の多い県で、実に日本からアメリカに移民として渡った人の4分の1を占めるらしい。

▼でも僕の祖父が珍しいのは、その後10歳前後で日本に戻り、まだ現在の国籍法が制定される前だったのでアメリカと日本の二重国籍となり、更に、元はアメリカ人だったにもかかわらず日本人として日本軍の一員として戦争を経験した点だ。出生が出生だけに、「スパイじゃないか」等々大変な思いをしただろうことは想像に難くない。 更に辛かっただろうと思うのは、僕の祖父は日本に残り日本軍として戦ったものの、祖父の兄弟や親はアメリカに残り、日本人強制収容所に収監されたりアメリカ軍として戦争に巻き込まれていた点だ。 兄弟が日米軍として戦うなんて、なんて悲しいく辛いことだろう。まるで関ヶ原の合戦だ。 そんな複雑かつ数奇な家系なので、これまでに何度も新聞やテレビ等で取り上げられたりしたようだ。

▼そして最近知って驚いたのは、祖父を広島で厳しく育てた“祖父の祖父”(祖父の父は祖父が日本に戻った後もアメリカに永住したので“祖父の祖父”が祖父の育ての親)のハトコである高野虎市さんという人が、かの有名なチャーリー・チャップリンの秘書だったという事実だ。 遠い親戚なのだが、祖父と交流があったり曽祖父とはシアトルで一緒に働いていたということなので、他人とは思えない。そして、この高野虎市さんの数奇な人生をまとめた本が最近出版され、その中で僕は生まれて初めて高野虎市さんと一緒に写っている曽祖父の写真を見たりして、何とも感慨深い気持ちが湧いてくる。

▼そんな家系なので、家族は、中でも特に祖父は、僕が日本国内だけにとどまっていることなど決して期待していないはずだ。昔から「アメリカには早めに行った方が良い」とか「最近はBlogは英語では書かないのか」なんてよく言われていたし、昨年、僕が祖父の生まれ育った街に行ってきた話をした時の嬉しそうな顔は忘れられない。 僕は今年の8月で29歳になるので、30歳を節目に海外でも積極的に活動していこうと、そんな気持ちが固まったこの半年くらいのお話でした。

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