コーヒーゼリー

実家で相続の話し合いがあるから同席して欲しいと言われ、夜、行ってきた。
来訪者は税理士さんと司法書士さん。
ひとつはふたつは波乱があるかと思いきや、終始、割とスムーズに話し合いは進み、1時間強で終了。引き続き穏便に進みますように。
でもひとつだけ問題があって、それは税理士さんに出したコーヒー、に添えてあった砂糖が、実は寒天パウダーだったこと。
相続の話し合いを初めて目の当たりにして、僕はそっちに集中していたので全く気づかなかったけど、税理士さんはコーヒーに全く手をつけなかったし、何だかカップの中がプルプルしていた。
皆さんお帰りになった後に父や叔母がそんな話をしていて、たまげました。
どうぞと出されたコーヒーを飲もうとしたら、少しトロッとしているな、おかしいなと思って、混ぜれば混ぜるほどプルプルのゼリーになっちゃう。控えめに言って初耳です。

兄がお詫びの連絡をしたら、「そうでしたよの。少し置いといたら固まったと思いましたら、寒天パウダーだったのですね。気にしないでください」とすぐに返事があり、事なきを得た(?)のでした。
添付は帰りの車中で。オープンカーが気持ち良い季節。
朝比奈インター以降は思い出し笑いに意識を奪われ、気持ち良さを少し損なわれてしまったけれど

黒崎さんとの思い出④ー最初で最後のUS TOURー

 

2013年に一度だけ、黒崎さんと一緒にアメリカを横断するツアーを実施したことがある。
結果的にはこれが最初で最後になってしまったのだけど、SOWの「GOOD TRAVEL EXPERIENCE」という事業にしていこうという構想の一環で、6人が参加してくれた。とはいえ、ほとんど友人だったけれど。
ルートはカリフォルニアからニューヨーク、そこからオレゴンへと、東西を行ったり来たりする、なかなか移動の多いツアーだった。

実際に巡ってみると、どこに行っても黒崎さんの好きな店や思い出の場所があり、そして必ずと言っていいほど、黒崎さんを慕う人がふらっと現れる。
これはアメリカに限らず、日本でもヨーロッパでも同じで、黒崎さんとどこかに行くと、いつもそんな感じだった。

今でも強く印象に残っているのは、ニューヨークで出会った黒人の男性の言葉だ。
会話の中でふと、「He is miracle」と言っていた。
向こうからすると、いつもふらっと現れるのはむしろ黒崎さんの方で、世界中をふらふらしているように見えるのだと思う。
でも実際には、ファーマーズマーケットやコミューン、自由大学、滝ヶ原、それ以外にもいろんなことを同時並行で構想し、進めている。
一体彼は何者なんだ。
むしろ一緒に旅しているお前たちが説明してくれよ、というようなニュアンスも、その“miracle”という言葉には含まれていた気がする。

ツアーの準備で二人でロサンゼルスに行ったときは、帰国前に、当時サンディエゴに留学していた一造のところにも一緒に遊びに行った。
そこでもやはり黒崎さんの遠い親戚がいたりして、豪邸に招かれたのを覚えている。

ツアーが終わったあとは、次はヨーロッパ版をやろうということで、下見も兼ねて黒崎さんの欧州巡りに便乗させてもらった。
パリやストックホルム、ロンドン、ケンブリッジを回ったのだけど、大きなスーツケースを持って移動し続けるのではなく、パリを拠点にして各地に行っては戻り、また出かけていくというスタイルが、なんだかとても格好よく見えた。

僕が黒崎さんの言動から学び、吸収したことはたくさんある。
無意識的に真似していることとかも、きっと無数にあるはずで、これがいわゆる師匠の背中というやつか。
まぁ、何でもいい。
黒崎さんはいなくなってしまったけど、折りに触れ頭の中に蘇らせたり、彼の書き残したものを読み返したりして、自分の立ち位置や振る舞いを確認する錨としていきたい。

黒崎さんとの思い出③ー西村くん、講義をやってみな。テーマは”仕事”でー

 

黒崎さんとの関係がより一層深まったのは、自由大学の講義を担当し始めた頃からだった。

自由大学は、黒崎さんがスクーリングパッドに続いて立ち上げた学校だ。
スパイスや日本酒、占い、本など、何かに強い情熱を持った人がいて、その魅力を伝えたいと思い講義を開く。そこに受講したい人が10人前後集まれば成立する。
つまり、黒崎さんや映画フラガールの監督李相日さんのような特定の講師が中心だったスクーリングパッドに対して、よりオープンで、自発的に教えたり学んだりできる場だった。

そのはずだったのだけど、自分の講義は黒崎さんからの提案、というか半ば強制のような形で開催が決まった。
タイトルは「未来の仕事」。
これも黒崎さんから与えられたお題だった。
“未来”も“仕事”も、とてつもなく広くて抽象的で、どう講義を組み立てればいいのか分からない。
それなりに悩んで、少し苦しんだ記憶がある。
最終的には、初回は自分が話し、途中に何度かゲストを呼んでトークをし、最終回は黒崎さんがゲストで来る、という形に落ち着いた。

でも自分なりに「未来」や「仕事」というテーマを問い続けながら、黒崎さんと一緒に探索した6〜7年は、とても有意義な時間だった。
合計で15期ほど担当して、多分200人くらいが受講してくれたのではなかろうか。

その中のひとりが立ち上げた会社がギフティで、やがて急成長し、結果としてSOWを買収して同じグループとなった。
だいぶ時間がかかってしまったけど、黒崎さんがSOWに投資してくれたお金も40-50倍にして返すことができた。
黒崎さんはこのエピソードが好きで、いろんな場面でいろんな人に話してくれていたし、その話を、どこか嬉しそうにしている黒崎さんを見るのが僕は好きだった。

最初に講義をやらないかと声をかけられたとき、会社はまだ小さく、赤字でもあったので、自分に何が教えられるのかと迷いもあった。
ただ、福澤諭吉が23歳で慶應義塾の前身を立ち上げたことを思い出したのと、黒崎さんからの後押しがあったからに他ならない。

黒崎さんは「やろうよ」と言いながらも、大半はこちらが動かなくてはならないことも少なくない。
けれどそれが黒崎さんのやり方。
そんな風に何かしらの後押し・無茶振りをされてきた僕のような人が、きっと世界中にたくさんいるのだと思う。

添付は黒崎さんがゲストとして喋りに来てくれた、初期の頃の講義の写真

黒崎さんとの思い出②ーお守りがわりの救いの言葉ー

 

嬉しいことに、スクパ(スクーリングパッド)が終わったあとも、黒崎さんとの関係は続いた。

バリのヴィラに連れて行ってもらったり、クロテル(黒崎輝男の略)事務所にお喋りしに行ったり、SOWのオフィスでみんなでランチをしたり。
会社の資金繰りが厳しいときには、商品をまとめて買ってほしいとお願いしに行ったこともあるし、割と早い段階でSOWの株主にもなってもらった。

とにかく、いろんな場所で、いろんなタイミングで会っていた。
その中のどこかで、「君はそのままでいい」と言われたことがある。

当時の僕は、とある伝説的な起業家との関わりを通じて強めの影響を受けていて、その憧れと現実とのあいだで葛藤を抱いていた。

黒崎さんもまた、イデーという世界のデザインシーンを引っ張る会社を立ち上げた起業家でありプロデューサーだけど、タイプはまったく違う。
黒崎さんの存在によって、自分の中の「起業家像」が少し相対化されたことは間違いない。
そのうえで「君はそのままでいい」と言ってもらえたことは、自分にとって大きな自信になったし、救いだった。

もっとも、この言葉は、本当にそのままの形で言われたのかは分からない。
いくつかのやり取りの中で、僕が勝手にそう解釈しただけかもしれない。

でも、実際にどうだったのかは、もうあまり重要ではない気もしている。

“Inspiration come from conversations”

黒崎さんはよくそう言っていたし、言葉そのもの以上のインスピレーションと勇気を、いつも与えてくれる人だった。

黒崎さんとの思い出① ー売られたパー券は、買うしかないー

 

2005年頃だったか、IDEEをやめた黒崎さんが、スクーリングパッドという学校を立ち上げたと友人に教えてもらった。
とりあえず説明会だけでも覗いてみようと思い、軽い気持ちで足を運んだ。
デザインコミュニケーションという学部名がついていたのだけど、正直よく分からない。
ただ、何だか面白そうだなという予感はした。
当時は起業したばかりで、とにかくお金がなかったので、少し相談してみた。
数人でひと枠分を支払って、順番に参加する形でもいいかと。
そうしたら、それでもいいと言ってもらえて、話はそれでまとまったはずだった。
ただ、その後が少し想定外だった。
後日、黒崎さんが当時の渋谷のSOW EXPERIENCE オフィスに直接来て、「君たちは良い青年だし、すぐに元は取れるはずだから、みんなそれぞれ参加しなさい」と言われた。
こうなると、もうパー券だ。
先輩から売られたパー券は、買うしかない。
今から20年くらい前の出来事だけど、振り返ると、あれが全ての始まりだった。
ちなみに、その説明会のあとに、もうひとつ印象に残っているやり取りがある。
当時の僕は、とにかく自分を印象づけたくて、つい最近会社を立ち上げたことや、ギフトを商売にしていこうとしていることを話した。
その上で、「ただ普通のギフトではなくて…」と続けようとしたところで、「体験のギフトというのがあってね」と切り返された。
「おっしゃる通り、まさにそれをやるために会社をつくりました」と、平静を装って答えたのだけど、内心かなり驚いた。ああ、この人すごいなと。
それがあったからこそ、気持ち良くパー券を買ってみようという気になったのだと思う。
そして黒崎さんの言うとおり、そのパー券は元を取れたかどうかの次元を超え、今の自分を形成する上でひとつの大きな軸になった。
黒崎さんは身体が大きく押しも強いが、何でもかんでもゴリ押しするようなタイプじゃない。
むしろ相手や場の様子を注意深く観察する繊細な人というのが僕なりの認識。
けれどそんな黒崎さんの興味が着火すると、物凄い押しの強さを発揮する。
押したら押したで、筋を通す。
そのあたりのメリハリがとにかくカッコよく、少しでも真似たいなと思い続けてきた。
※写真はスクパに一緒に通っていた、つまり一緒にパー券買った面々と、だ10年近く前に滝ヶ原に行った時の記念写真