自立とは頼ること

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自立とは頼ること。

自立とは依存先を増やすこと。

自立とは自分でやることと、頼むことを、見極めること。

そして自立とは、(できる限り人さまに迷惑かけないように)自分のことは自分で済ますこと、ではない。


これは最近、自分にとって大事な打ち合わせの場面で、大切な仲間に伝えたことです。

どのセンテンスもどこかで見聞きしたことがあるような、我とよく言われていることだと思うので、オリジナルだと言うつもりはありません。でも、やはり大事であると同時に、忘れられがちなことでもあるなと思うので、改めて。

「人に頼れない性格」というのもよく聞く表現ですが、それは性格ではなく、単に慣れとかスキルの問題ではないかなと思います。いや、実際に性格なのかもしれませんが、そう言ってしまうと手の施しようがないので、あくまでも慣れとかスキルと捉え、トレーニングしていけば良いのではないかと。


人に頼る。お金に頼る。会社や自治体などの制度に頼る。

頼るスキル。頼る技術。頼る習慣。

頼って、頼られて。貸して、借りて。

周囲から積極的に声がけしていくお節介も良いものですが、まずは自らヘルプを求めること。それが基本だと思います。

そんなわけで遠慮し過ぎず、周囲を頼っていきましょう〜

不味くて美味しかったゴンズイ味噌汁


去年の春ころ、1-2週間くらい葉山港に釣りをしに通ったことがあった。

最初は近所の友人たちに連れられて行き、その後次男と共に、何度か立て続けに。

朝早く自転車に乗って家を出て、近所の2-3坪の釣具屋に立ち寄って仕掛けのパーツと餌を買い揃え、10分くらい自転車漕いで葉山へ。

 

狙うはキス、、、なのだけれど釣れるのはゴンズイやヒイラギばかり。

小さなメジナも釣れたかな。

キスやメジナはもちろん美味しいのだが、ゴンズイは針に毒があるし、ヒイラギはめちゃくちゃヌメヌメしている。

けれど調べてみると食べられるということで、web上の情報を頼りにゴンズイは味噌汁に、ヒイラギは揚げ物に。

味噌汁の方はあまり美味しくなかったように記憶しているのだが、ヒイラギはとても美味しかった。

頑張って捌いてくれた次男に感謝。

 

土日だけでなく平日に行ったこともあったと思うけれど、次男は学校をサボり、僕も午前休を取って閑散とした午前の葉山港でふたりで釣りをして、港の目の前の定食を食べて戻ってくるのはなかなか良い時間だったように思う。

少なくとも良い思い出ランキングとしてはAクラスなので、こういう小さな無駄や楽しい時間は、小さいからこそ、そして無駄だからこそ宝石のような時間の過ごし方なのかもしれない。

一日がかりではなく、サクッと行って帰ってきて、午後は仕事に戻ったり、また別のことをしたり、こういう過ごし方ができるのも海の近くに住んでいるメリットだ。

また暖かくなってきたので近々トライしてこようと思う。

興味関心、ご縁、そして体験

あしなが育英会のイベントにお呼びいただき、イノベーションをテーマに色々と助言やトークをさせてもらいました。

たくさんのプレゼンを聞きましたが、やはり問い、今回であれば「なぜ日本ではイノベーションが生まれないのか」に対して、

1.目を惹くユニーク(で一見奇抜)な仮説

2.それを裏付ける論理的な根拠

の2点が揃っていると一気に惹かれます。


イノベーションの概念は広く、僕もそんなこと聞かれても分からないので、自分たちで勝手に言葉の定義を狭義の範囲を限定し、その絞り込んだ中で仮説の提案をしているチームは、一気にリアリティが増すし話が面白くなるものです。一般論は生成AIや教科書に任せて、人間はとにかくリアルやN=1に根ざす何かを語りましょう!


最後は20分時間をもらったので、

1.自分の興味や関心を大切にしよう

2.興味関心を維持獲得するために体験をしていこう

という話をしました。

ソウ・エクスペリエンスは昔からGOOD EXPERIENCE, GOOD LIFE.を掲げていますが、エクスペリエンスとライフの間には実は、グッドな気づきや発見、そしてそれぞれのグッドな興味や関心というものが隠れていて、それがあるからグッドなライフなのだと思うのです。


何が自分の興味や関心を惹くのか、それは自分でも分からないので体験してみるしかないわけです。そこでどんな感情を抱くのか、それはもう開けてみてのお楽しみ。

「なぜそんなに上手に彫刻ができるのか」と聞かれた運慶と快慶は「既に埋め込まれているものを掘り出すだけだ」と答えた?という話を聞いたことがありますが、そんな感じです。

体験してみてポジティブな感情を抱けばそれはグッドだし、たとえネガティブだったとしても一歩前進で、それまたグッド。そんな風に進んでいくしかないわけです。

そんなことを通じて出会う人や、得る情報、ありつく仕事や見る映画、赴く場所。そういうもの全般がご縁というもので、こうして紡がれたご縁は当たり前のように唯一無二。この唯一無二性の前では個性という言葉すら空虚に響きます。


興味関心、ご縁、そして体験。そういうことだと思います!今日お会いした皆さんのこれからの生活や人生が面白く、楽しく展開していくことを願うばかりです◎

あどけなさという希少性

僕はiPhoneのホーム画面右上で、いつも一枚ランダムに写真が表示されるような設定にしています。自分が♡マークをつけた写真が、数時間おきに入れ替わり表示されるという単純な仕掛けです。

今はここに、5年前、まだ幼児だった次男が映し出されています。近くの大きな公園でラケットを持って、どうやら僕と少しテニスをしているみたい。首には保育園の帽子をぶら下げている、何ともあどけない写真です。

その彼は今、オーストラリアにいます。色々な経緯があり、2週間の短期語学留学に行っているのですが、iPhone上の写真と、今彼が実際にいる場所。その時間と空間のギャップを感じる度に、とても不思議な気分に包まれます。

5歳から10歳。年齢が倍になったのだから、そりゃ変化も大きくて然るべき。自分の年齢を倍にしたら、死んでいてもおかしくないわけですから。

たかが5年、されど5年。

されど5年、たかが5年。

5年という期間のあっという間さと、その変化の大きさに、なかなか意識が追いつきません。

こういう感覚を抱く度に思うのです。幼少期のあどけなさは最も希少性が高いトップ・プライオリティだと。でもこのトップ・プライオリティには一つ特性があって、割とコスパが良いのです。つまり、その時期こそ長くはないものの、その間に共有した時間・思い出は一生物だと思われるからです。僕はまだ現在進行形なので、この本当の価値は、これからさらに10年20年と生きていけば分かるのでしょうか。

前回の投稿とも関連しますが、Die with zeroでは経済的な資産は死ぬ時にゼロにしろ、そのためにお金を経験に変えろというのがその主張でした。

でも自分の子どもの「あどけなさ」が死ぬまでの期間は、せいぜい彼らが生まれて5年10年程度でしょう。

Die with zeroを拡大解釈することが著者の意に反していないか、こちらでは知る由もありません。でも、そんな読み方もできるのではないかと、ホームシックならぬチャイルドシックになりつつある父ちゃんは思うのでした。

投資普及の先にあるもの

そういえば昨年のお正月は、甥っ子が受験に合格して入学間近ということもあって、「1ヶ月以内に使うように」という言葉を添えて大きめの金額を渡したのだが、結局あのお金は使われたのだろうか。

数日前に会った際に確認しようと思っていたのに、またすっかり忘れてしまったのだが、賢い彼のことだ、きっと自分の興味を追求する何かに使ってくれているに違いない。

 

話題のNISAのおかげで投資がいよいよ普及しつつあるようで、これは大いなる前進であることは間違いなさそうだし、高校生の頃から25年ほど投資をしている身としては、世の中本当に変わったなと驚きをもって今の状況を見ている。

この社会現象は、まずはこれまでは手元に置いていたであろう現金を株やファンドなど金融商品に替えていく形を取っているわけだが、それだけで終わることはない。これが後々、人や社会にどんなインパクトをもたらしていくのか(そう、ちょうど携帯電話やインターネットが普及していった時のように)、とても興味深い。

 

もちろんお金が増えた、減ったと一喜一憂する人も多いだろうし、だとしてもお金が増えて旅行にでも行けたら最高で、資産が増えることで消費が増える資産効果というのも大きくあるのだろう。ただ、それと同時、またはすぐ後に立ち上がるのは、

「このお金の投じ方は適切なのか」

「他の、より魅力的な投資先があるのではないか」

という問いだ。

投資を始めた人全員ではなくとも、一定割合の人にとって、これは一度気になり始めたら止められない問いであり、つまり一生ついて回る問題となるはずだ。

 

もちろん、ここで言う”魅力的な投資先”というのは金融商品に限るものではない。日本中や海外を自分の目で見に行きたいとか、気になっていた歯列矯正や語学学習みたいな自己投資。応援したいソーシャルセクターへの寄付とか、もっと身近な人、例えば親を旅行や食事に連れて行ってあげたり、子どもと一緒に今しかできない体験をしてみるということもあるかもしれない。

つまりこれは、投資するのか消費に回すか、はたまた寄付するかという問いであると同時に、未来に張るのか現在に賭けるのかという選択でもあり、お金だけでなく時間をどう使うのか、何に優先的に振り向けるのかという問いともほぼ同義、または隣接したものと言えそうだ。

 

そんな風に考えていくと『Die with zero』という本が売れていることも納得がいく。40万部突破という情報を電車の広告で目にした時は驚いたが、

・楽しいことは先送りするな

・今からどんどん経験に金を使え(死ぬときはゼロにしろ=Die with zero)

・そうして蓄積される思い出こそが最大の豊かさの源泉だ

そんな主張をイソップ童話のアリとキリギリスの話を持ち出しながら語りだしていく本著は(アリは確かにせっせと働いて偉いけど、彼はいつ遊ぶのさ?)、貯金も投資も大切だが未来への備えであり、未来ばかり見ていると今を見失うぜというのが著者の渾身のメッセージなのだろう。

この本のタイトルを安易に「経験のすすめ」とかにせず逆説的に「Die with zero」と題したところが素晴らしいし、ヒットしているということは投資の先にある投資的な思考や行動が芽吹きつつある、少なくともそういう方向に世の中が動こうとしている証左である気がしている。

 

個人的には、この正月はのんびり過ごしつつ家族や親族と色んな話をしたが、深大寺の植物園を歩きながら長男と話したことが印象に残った。鉄道の好きな彼とウガンダ(アフリカ)に傾倒する僕の話が相まって、テレビの番組で今年開業する予定の高輪ゲートウェイにJRが投資している6000億円、そのお金をウガンダの街づくりや都市開発に活かしたらどんな風にできるだろうか、そんな話になった。ウガンダは若い人が多くエネルギーに満ち溢れているが、内陸国で港がない上に、道路など物流網が弱く競争力がない。そんな話をする中で長男がゲートウェイ6000億円の話を持ち出したので、そうそう、そういうことだよ!と大いに盛り上がったのだ。

1999年に村上龍が著した『あの金で何が買えたか』は、バブル崩壊後に銀行に投入された千億・兆円単位の資金があれば他に何ができたのかを絵本で見せるという、実にシニカルな作品だった。でも、まさにそういう思考こそが投資家的であり、よりbetterな行動を、ひいてはよりbetterな未来を引き寄せるものだと熱く伝えてみた。まぁ、彼は僕にそんなことを言われずとも自分の興味に全リソースを投入し続けており、そのプロセスで色んなスキルを獲得しつつあるように思うので、何にも心配していないのだが。

 

一定の時間をかけてコツコツ稼ぐこと。稼いだお金を投資に回すこと。そして適切にどんどん、自分に、他者に、社会に対して使っていくこと。

別にこれは金持ちに向けた話ではなく、金持ちは使うことに重きを置けばいいし、まだ資金が不足すると思う人は稼ぐことと投資に重きを置けばいい。

以前どこかで読んだ「真実はいつも中庸の中にある」という言葉が好きで気に入っていて、これを換言すると、要するにバランスが大事だよというごくごく平凡な結論となってしまうのだが、でもそういうことではないだろうか。

こんなことを書いてしまったので、自分としては今年もしっかり稼ぎつつ、自分のお金・自分の時間を前向きに、適切に、カラッと気持ち良く処分していこうと思う。皆さんにとっても楽しい一年になりますように。