月が満月とか新月に近く、大潮または大潮寄りの中潮のときは、三男と、時には次男を連れて磯遊びに行きます。
自転車で3分、バケツと網と水筒抱えて、普段は海水で覆われている近所の磯へ。
磯に行って、(まるで何度食べても美味しさの感動が一向に減ることのない納豆のように)何度行っても毎回驚かされるのが、たった1メートル四方の狭い範囲でも、目が慣れてくると、その中に無数の生き物が生息していることです。カニやヤドカリはもちろん、場所によってはウミウシがいたり小さな熱帯魚が泳いでいたり、透明のエビとかすばしっこいハゼとか、本当に数えきれないほど。
それなりの興味を抱いて、割と前のめりな態度で向かわない限り、ほぼ確実に、単なる磯、単なる水辺、単なる岩礁にしか見えないその場所に、無数の生き物が生息している。このギャップに毎度、密かに心打たれるのです。
と同時に、磯とは全く別の普段の生活や仕事の中で、自分が見るべき大事な事柄、にも関わらず全く見えていない事象、そんなものもあるような気もしてきます。磯にいる時はそんなとを考える余裕もなく、生き物探し(と3歳児の行方)にほぼ全ての意識を注いでいますが。
ちなみに磯遊びに慣れている10歳の次男はサクサクと小魚やらカニやらを獲ってきてはバケツに入れます。一方それらを物珍しそうに眺める三男は、当然見てると触りたくなります。そして手に乗せて暫くすると、特に小魚は死んでしまう。獲ってくる次男と、死なせてしまう三男。当然そこで、次男が嘆くという形でコンフリクトが発生します。三男の行動は、まだ3歳なので致し方ない。そこにイラつく次男の行動も、まだ彼だって10歳なので、致し方ない。その様子を見守る僕が、それを炎天下の中でやららるとイラついてしまうことがあるのも事実で、それが致し方ないのかどうかは分かりませんが、全て含めて恒例行事です。
長男もまだ、たまに一緒に行ってくれますが、もう彼との磯遊びはほぼ終わり。次男もおそらく、ほぼ最終ステージ。となると、まだまだ磯遊びに行きたい盛りの彼は僕にとってのボーナスタイムと捉え、もう暫く磯遊びに付き合い尽くそうと思うのでした。
今日も皆さん、お疲れさまでした。