7/22 土台としての贈与

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先人は当時にとっての将来である現在を思い事を為しただろうし、今を生きる我々はその恩恵に預かっている。そして我々は将来や(政治でも法律でもビジネスでも)ある種の受益者に思いを馳せ、あれこれ考え行動を起こしている。もっと卑近な例でも、家を買うのは自分というよりも家族のためかもしれないし、スーパーでお刺身を買うのはおばあちゃんの喜ぶ顔が見たいからかもしれない。

ギフトというとついつい誕生日の贈り物とか母の日父の日に意識が偏りがちだけど、ギフトをより広義に「他者に思いを馳せること」と捉えると、歴史や世界の見方が少し変わるのではという気がする。むしろ我々を取り巻く市場経済システムは鏡餅にちょこんと乗っかるミカンのようなもので、その土台は餅である贈与がしっかり支えている。そんなイメージこそが本質なのではなかろうか。

よく、経済的にはギフト市場は十数兆円の莫大な規模で、、、という話を聞くのだが、この文脈で捉えるとむしろもっと遥かに大きいし、それを数値で測定しようとすること自体が間違いの始まりなのではないかとすら思えてくる。

ー誰かに思いを馳せること
ー誰かの思いを馳せ行動すること
ー誰かに思いを馳せ行動し、結果的にギフトを贈ること

どの段階をギフトと定義するかに正解はないけれど、僕はできる限り広義に捉えられる一番上や二番目が気に入っている。それは一個人としてもだし、ギフト会社の代表としても、最近目に余る嫉妬や模倣、詐称などの行為がはびこる環境の中で抜きん出た存在になるために欠かせない思想だと思う。戦術や戦略は真似できても、思想だけは決して真似されない。やるぞー!

というポエムを書くために、電車を降りてチャリで帰宅してバイクに乗り換え、葉山の長者ヶ崎までやってきました。これから家族と合流して蕎麦を食べてきます。