トドメを刺さない。

温和に生きていくためにも、有利に生きていくためにも、トドメを刺さないというのは大事なことではないかと思っている。

なんてことを書いたのは、最近久々にクレームを言うことがあったからだ。
ちょっとした事情で車を買い替えて、といっても前回に続き破格の中古車を見つけ出してハンティングしてきたのだが、この業者さんが約束の納車日を過ぎても一向に連絡してこない。
そこで連絡を入れて改めて確認しても、その期日を破る。
一度はいいが二度や三度は我慢ならないので最後はメールで丁寧に不快を示しつつ意見と提案をした。
提案といってもちょっとしたことで、この状態で整備された車を取りにいくことはできないが家まで届けてくれたら、このちょっとした気持ちのざわつきも収まりますというものだ。

しかし待てど暮らせど返事はこない。ようやく電話をいただいたのは翌朝だったのだが、先方が緊張しながら電話をしている様子が手に取るように分かったので、クレームを申し上げたことなど忘れているかのごとく普段通りに電話で丁寧に話をした。

僕はここで、別に自分の心の寛さを誇示したいわけではない。
そもそも意識的にこのような態度を取っているわけではなく、これまでの経験が無意識的に、こういう態度が一番有利であると僕の内部で統合的な判断を下しているのだと思う。

生活をしていると、そして商売をしていると、色々なことが起きる。
テレビドラマ的な完全なる信賞必罰はスカッとして気持ち良いかもしれないが、現実的には「必罰」は大変な心労を伴うし、そういう馬鹿者はあまり相手にしないのが一番だ。そんなに暇ではない。
もしくは稀に、罰さないこと、つまりトドメを刺さないことが有り難がられて昨日の的が今日の友となることだってある。それもそのはずだ。もしこれが真剣の戦いであったら、倒れた相手の首に最後のひと突きをせずその場を去れば、まさに命の恩人だ。

結局何が言いたいのかよく分からないが、そう言えば半沢直樹の最終回、頭取は過去の数々の悪事が露呈した大和田専務を更迭することなく同じポジションにとどめる決断をくだした。
この判断には賛否両論あるだろうが、これはまさに「トドメを刺さない」考え方に近いのかなと思う。

最後にひとつ自問自答すると、トドメを刺した方が良いケースはあるのだろうか。
32年生きてきた現段階で僕が持ち合わせている回答はNOだ。
多分その方が世の中温和にいけるし、きっとみんな有利に生きられる。